「あなたがたは、自分自身のうちに塩けを保ちなさい。そして、互いに和合して暮らしなさい。」 マルコ9:50cd
49節に、「すべては、火によって、塩けをつけられるのです。」と、あります。この「火」とは「聖霊」のことです。わたしたちクリスチャンはイエス様と出会い、これまで世にあっては「罪」にしばられて生きてきたことに、聖霊によって気づかされ、自身の罪を悔い改め、自分勝手な生き方から「神様中心の」生き方を選んだ者です。ですから、聖霊によって、「塩けをつけられる」というのは、聖霊を心にいただいて、イエス様に従う「生き方」に変えられることであると、言い換えることが出来ると思います。
皆さんも自分自身のことで振り返ってみましょう。あなたがイエス様を信じて聖霊様を内側にいただく以前の、ものの考え方や生き方と、主イエスを信じて聖霊様を頂いている現在の考え方、生き方と比べてみたらいいでしょう。あなたにはどんな変化がありましたか。
自分自身のことですが、
1)以前は、他人と自分を比べることがよくありましたが、今は比べません。なぜなら、神様イエス様が、私のことを最高のものとして見て下さっているからです。(みなさんもそうですね)
2)以前は、自分勝手な考え方や行動をして、周囲に迷惑をかけ、また周囲の人を傷つけてしまったことがありましたが、今は、神様イエス様が喜んでくださるような考え方をしようと思いますし、行動したいと考えます。
3)以前は、なかなか赦せない思いに縛られ悩まされていましたが、今は、その人も罪人、過ちはある、しかし、神様はその人の神でもある、、、と考えて、相手を赦せる自分となってきました。
さあ、あなたはいかがでしょうか? 出エジプトの時代、モーセを通して、主なる神はイスラエルの民に「神の民」として生きるために、その契約の「しるし」として「十戒」を与えられました。その中身のポイントは、イスラエルが神様のことを愛し、神さまを(しっかり)見上げて生きると共に、神の民=隣人同士も「愛し合う」ことでしたね。それが、神の民が幸せに生きるための「秘訣」でした。
今、私たちは、あなたや私「一人ひとりの罪の身代わりに」十字架で死なれるほど、私たちを愛してくださるイエス様を(聖霊として心に迎え入れて)主イエス様をいただいているときです。わたしたちの内側に(聖霊として)いてくださる主は、「曲がったこと」や「汚れたこと」、「不正」などを嫌われるお方です。そのようなお方が心の内に働いてくださり、(羅針盤のように)あなたや私の心(の歪み)を修正してくださるのです。しかし、わたしたちは聖霊様をいただいている確信が弱いと、イエス様を信じていても塩けがなくなっていくのです。ですから、いつもしっかりと、主を見上げようじゃありませんか。イエス様が、私のために、私が神としっかり繋がっていくために、私の罪の身代わりに十字架につかれ、命がけで私を救って下さった、、、その決してゆるがぬ確信に立ち、イエス様を愛し、クリスチャンの群れである教会をも、和合一致していきたいと思います。
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