神を畏れよ

「、、、、こういうわけで、人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません。」マルコ10:9

 きょうの箇所には「離婚」の話が出てくるのですが、イエス様は「結婚」や「離婚」のことをどのように語っておられるのかを見てまいりましょう。

 イエス様がユダヤ地方、ヨルダン川の向こうに宣教に行かれたとき、パリサイ人たちがやって来て、「夫が妻を離別することが許されますか」と質問をしたというんですね。これは、彼らが主を試そうとしたのだと聖書に記されています。実は、イエス様の時代、ユダヤの社会では「夫は(自分の思ったように)妻を離別できる」というのが主流の考え方だったようです。もちろん、離婚に強く反対する人々やグループもいたと思います。なかでも、主の福音の道備えをしたことで知られる「バプテスマのヨハネ」は離婚に強く反対しました。みなさん、ヨハネがヘロデ・アンテパス王に捕らえられ、首をはねられて殺された出来事をご存知ですか。なぜ、ヨハネは首をはねられたのですか?なぜならば、ヘロデが弟の妻と不倫をして、その妻を自分の妻にしてしまったことをヨハネから「姦淫の罪」として断罪されたからです。それほどに、当時、ユダヤでは富裕層を中心に、夫が平気で妻を離別できるとするのが主流の考え方だったようです。

 イエス様はパリサイ人たちの質問には答えず、逆に彼らに対して、律法に示されている神の御思いに気づかせようと、「モーセはあなたがたに、何と命じていますか。」と問い返しました。すると、彼らは、モーセは離婚状を書いて妻と離別することを許した、と答えたのでした。イエス様はすかさず、創世記2章終わりからの「みことば」を引用されながら、こう仰いました。「こういうわけで、人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません。」 イエス様はパリサイ人たちに聖書に示された「神の御旨」を教えたのです。すなわち、「結婚」について、聖書で神は何と仰っておられるかを彼らに気づかせるために、主はこのように言われたのです。「聖書には、『人は、神が結び合わせたものを引き離してはならない』とあるでしょう。果たして神は十戒(律法)において、民に『離婚してもよい』と告げているのでしょうか。」

 モーセが申命記24章において示した「離婚状」は、自分の好き勝手に妻と離別しようとする男性(夫)たちにストップをかけ、正当な理由をきちんと示すようにしたものなのです。パリサイ人たちは自分たちに都合のいいように律法を解釈してしまいました。律法に示された神の御思いを無視して、自己流に解釈すること、、、これは「神への畏れ」に欠けることです。しかし、それはパリサイ人たちだけでなく、私たち自身も気をつけないといけないことなのです。あなたはイエス様が命じておられることに常に忠実でしょうか?もしも、神の前に自分がつかんで離さないことがあるとしたならば、「これくらいはいいや」と自分で解釈しているパリサイ人と同じなのです。 

「神を畏れる」生き方を求めて歩みたいと思います。