イエスは彼を見つめ、その人をいつくしんで言われた。「あなたには、欠けたことが一つあります。マルコ10:21
主が道を歩いておられると、一人の青年がやってきて、「尊い先生、永遠のいのちを自分のものとして受けるには、私は何をしたらいいでしょうか。」と尋ねました。イエス様は青年に、「戒めはあなたもよく知っているはずです。」と、「十戒」の深い意味をよく理解していることが大切であることを青年に告げました。ところが、青年は、「私はそのようなことをみな、小さい時から守っております。」と主に答えました。そこで、イエス様は彼を見つめ、いつくしんで、「あなたには、欠けたことが一つあります。」と、言われました。
イエス様が言われた「青年に欠けた一つのこと」とは、一体何でしょうか。主は、青年に自分の財産をすべて売り払って、貧しい人々に分け与えるようにと言われました。しかし、それを聞いた青年は顔を曇らせてその場を立ち去った、とあります。青年は、主が言われるようには、財産を手放すことが出来なかったんですね。なぜならば、彼にとっては「財産」という価値が第一であったからでしょう。そして、地位や名誉という価値が第一だったのでしょう。イエス様に対して「尊い先生」と持ち上げて質問したことからも分かります。そこを、イエス様によって、すべて見抜かれていたからです。この青年は、小さい時から十戒を守り行ってきた、と自認していました。しかし、それは表面的なことであり、十戒に込められた「深い意味」を彼が理解していなかったからではないでしょうか。
十戒に込められた深い意味。それは、イエス様が青年に向かって、「あなたには、欠けたことが一つある」と言われたことです。青年は、十戒の深い意味を十分に理解していなかったのです。それは、神がアブラハム契約を決して忘れず、エジプトで奴隷になった「神の民」イスラエルの叫びを聞かれ、十番目の災い「主の使いの過越」をもってエジプトを打って、イスラエルを奴隷から解放してくださった、、、、その神の一方的な恩寵(恵み)を決して忘れないようにと、シナイ契約を結ばれたのでした。しかし、青年には「神の一方的な恵みに感謝する」思いが欠けていたように思います。おそらく、彼の十戒(律法)への理解も表面的なものであったに違いありません。この青年が(常日頃)神からの一方的な恵みに心から感謝する思いがあったならば、イエス様が言われたように、自分の財産を貧しい人々に分け与える生き方を選んだことでしょう。
さて、あなたや私はどうでしょうか。イエス様から、欠けたことが一つある、と言われないでしょうか。私たちは「主を信じて救われている」と言いますが、この金持ちの青年のように、神様、イエス様から一方的に救っていただいたことへの感謝と喜びに、また、それに応答する生き方が出来ているでしょうか。私たちも、この青年と同様に、そのことを主から示されているのではないでしょうか。
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