神にはできるのです

25 金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」26 弟子たちは、ますます驚いて互いに言った。「それでは、だれが救われることができるのだろうか。」 マルコ10: 25,26

 先週、H兄が急に召されました。とっても悲しかったのですが、兄が天国に凱旋されたことを思うと、心に平安をいただけて感謝でした。人間の世界=世の中には「確かなるもの」がありませんね。必ず変化して消えてしまします。人の命もそうですね。わたしたちは、いつかはこの地上から取り去られる日が来ます。しかし、イエスキリストを受け入れ信じた者は、確かに「救われ」、永遠のいのちに生かされ、決して死んで終わることがありません。 H兄は、その人生の中で、この「確かなるお方」=主イエス・キリストに出会われたわけですから、本当に幸せです。

 ずっと、マルコの福音書を読み進めています。先週の続きになりますが、金持ちの青年がイエス様に尋ねました。「永遠のいのちは、どうしたら得られるのでしょうか。」 イエス様は、「あなたは十戒を知っているはずですね。」と答えられました。青年は、十戒だったら幼いころからすべて守っています、と返したのですが、イエス様からは、あなたには、一つだけ欠けたことがあります、と指摘されまっした。青年の欠けたこととは何なのか。それは、十戒という神の戒めを、人の努力で守り行っているだけでは「永遠のいのち」を得ることはできない、、、すなわち、人は自らの努力で天国に入ることが出来ない、と指摘されたのです。確かに、青年は誠実に十戒を守ってきた人物だったのかも知れませんが、彼に欠けていたことは、「救ってくださるのは、神お一人である」という確信だったのです。

 わたしたちはどうでしょうか。わたしたちは主を信じているから「救われている」と、よく言いますが、大切なことは、「イエス様が、わたしを救ってくださるためにクリスマスに生まれ、わたしの罪をすべて消し去るために十字架にまでも死んでくださったお方だ」と、告白できることではないでしょうか。

 イエス様の時代、金持ちになることは神から祝福されている証拠である、と考えられていました。確かに、お金が与えられ、裕福になるのは神の祝福なのかもしれませんが、わたしたに間違いなく言えることは、お金があってもなくても、イエス様を信じて救いの確信に立つことが何よりの祝福なのです。弟子たちは、驚いてイエス様に尋ねました。「それでは、だれが救われることができるのだろうか。」  主は答えられました。 「それは人にはできないことですが、神は、そうではありません。どんなことでも、神にはできるのです。」

 あなたやわたしを罪から救いだすことがお出来になる方は、唯一、聖書の神、天地宇宙を創造し、あなたを形造られた神、イエス・キリストだけなのです。きょうからクリスマス・アドヴェント(待降節)に入りました。イエス様のご誕生を喜びながら、クリスマスを迎えさせていただきましょう。