神と人との平和

シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜り、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに。ゼカリヤ9:9

 主はエルサレムに入られる直前、ゲテパゲ村とベタニヤ村の手前で弟子たちに「子ロバを引いてくるように」と指示されています。主はエルサレムに入られるときに、この子ロバに乗られて行かれました。子ロバに乗られるイエス様。現在、日本で暮らす「わたしたち」から想像すれば、子ロバに乗ったイエス様、大丈夫かなあ、、、転ばないかなあと気になってしまいますが、実は、主が子ロバに乗られたのは、旧約聖書ゼカリヤ書9:9の、「平和の王」が即位する預言が成就するためであったと、主の弟子たちは示されて聖書に記しました。戦い(戦争)になると、どうしても犠牲になるのが「民」でした。戦争のときに用いられた動物は「馬」でした。しかし、イエス様は「馬」ではなくて、「ロバ」に乗られてエルサレムに入られました。ロバには「戦い」のイメージがありません。「平和」のイメージです。ロバは人々の日常生活の助けになるよう用いられた動物でした。まさに、この時、主は「平和の王」らしく、「ロバに乗って」エルサレムに入城されました。ロバは、聖書においては「貧弱」というイメージはありません。聖書では150箇所にも及んで登場する動物であり、神聖な動物で、「富」や「裕福」、「平和」をイメージする動物なのです。ダビデの子ども ソロモン王が王様として即位した「式」の中で、ソロモンは「ロバ」に乗って登場しています。

 主はロバに乗られてエルサレムに入られました。それは、まさしく、「平和の王」のエルサレム入城を示しておられました。「平和の王」、、、それは、民が犠牲になるのではなくて、平和の王として、主自らが十字架で血を流され死なれるためでした。主が考えておられた「平和」とは何だったでしょう。 それは「神と人との平和」です。アダムとエヴァ以来、罪人となった人間は造り主である神との間に隔たりが生まれてしまいました。しかし、神は、神から離れてしまった人間を(再び)自分のもとに取り戻すために、究極の手段として、独り子イエス・キリストを十字架につけられました。主が、あなたやわたしの罪の身代わりに十字架で犠牲となって死んでくださったお陰で、主を信じる者が神と再びつながり、神との関係が修復されました。これが「神と人との平和」です。

 しかし、人間とは大変に罪深いものです。主を十字架につけた人たちだけではありません。ゲッセマネで主を見捨てた弟子たちだけではありません。現在の私たちも同様に罪深いものです。主を信じ、信頼して歩んでいながら、突然の出来事にあたふたして主のことを一時忘れてしまうことがないでしょうか。試練にあう中で、「神さまはなぜこのようなことをされるのだろうか」と、神に疑いの目を向ける自分がいないでしょうか。人はどこまでいっても「自分中心」なんですね。しかし、すぐに自分中心に陥ってしまう弱い「あなた」や「わたし」の救いのために、主はこの世に生まれ、十字架で死んでくださいました。主に心から感謝致します。