『家を建てる者たちの見捨てた石、それが礎の石になった。これは主のなさったことだ。私たちの目には、不思議なことである。』マルコ12:11,12
きょうの、この譬えを通して神様から「どんなノックを」いただけるでしょうか。
第一に、「神の民」としての働きが、今や、主イエスを信じて救われたクリスチャン、異邦人クリスチャンに委ねられているということです。
9節に「彼は戻って来て、農夫どもを打ち滅ぼし」と、あります。イエスさまを受け入れない者は、主の再臨の時に天に引き上げられずに「大艱難」に苦しみます。最後の審判でもイエスさまから「あなたのことは知らない」と言われてしまいます。一方、神はぶどう園たる「神の国」をほかの人たちに与える、と仰いました。これは、イエス様の救いに預かったクリスチャン、異邦人クリスチャン=すなわち、教会のことです。「家を建てる」の「家」とは「神殿」のことであり、「信仰」を指しています。「家を建てる者たち」とは、神殿を管理する祭司長たちのことを指します。その祭司長たちがイエス様を十字架につけたことを、「見捨てた石」として表しています。
「それが礎の石になった。」とは、クリスチャンの一人ひとりが、イエスさまを土台にして建てられている神殿そのものだと預言する「み言葉」です。かつて、イエス様が「この神殿を壊してみなさい。わたしは三日でこれを建てるから。」と仰ったのは、主イエスを信じる者が(主と共に十字架に)罪に死ぬとき、新たな命に生かされることを意味したのです。主は、わたしたちクリスチャンのことを「聖霊の宮」であると仰いました。わたしたちクリスチャンは、主を信仰の土台にしているものであり、主を土台にして建てられた(まさに)神殿なのです。
第二に、神さまは大変忍耐をもって、神の国の管理を任せられるお方である、ということです。1節に、「ある人がぶどう園を造って、垣を巡らし、酒ぶねを掘り、やぐらを建て、それを農夫たちに貸して、旅に出かけた。」とあります。神さまは、神の国建設のための「すべての備え」をして旅に出かけた、とあります。神の民イスラエルは、「主の救い」を世の人々に伝える働きを主から委ねられましたが、神の国を自分勝手に用いてしまいました。しかし、神さまは忍耐をして彼らを見守りました。にもかかわらず、彼らはイエス様を救い主として受け入れませんでした。そして、今、主を受け入れた教会に、(福音を伝える)神の国の働きが委ねられました。
昨年、米国で大統領選挙が行われました。世界中がコロナ禍で大変な状況の中で、キリスト教国 米国にとっても、信仰をしっかり持って世界をリードする時だと思うのです。米国国民が信仰を失いかけています。神は忍耐をもって見ておられるわけですが、米国に頑張ってほしい。日本の教会の働きにおいても、牧師が神のようになって間違った権威をふるっている教会があるのが気になります。また、気になるのが日本のクリスチャン人口が伸びないことです。そのような中にあっても、神はその独り子イエス様をお与えになるほどに忍耐しておられる。心から感謝したいと思います。
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