この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。、、、気をつけなさい。目をさまし、注意していなさい。マルコ13:31,33
きょうは、イエスさまが「目を覚ましていなさい」と、くり返し弟子たちに語った内容を見て参りましょう。私たちは疲れがたまって非常に眠くなることがあります。主はそのような私たちに「目を覚ましていなさい」とは仰いません。では、ここでなぜ、主は弟子たちに「目を覚ましていなさい」と言われたのでしょうか。それは、宮きよめを終えて、イエスさまが神殿を出て行こうとされたとき、弟子のひとりが主に「先生。これはまあ、何とみごとな石でしょう。何とすばらしい建物でしょう。」と、豪華絢爛な神殿を褒めたことが「きっかけ」となりました。イエスさまは、このあと、弟子たちに向かって言われました。「すばらしい神殿であったとしても、永遠にこのままの姿ではない。いずれは跡形もなく崩される時が来るものだ。」
イエスさまは、このとき弟子たちに何を伝えようとされたのでしょうか。それは「目を覚ましていなさい」ということです。なぜなら、12章の終わりで主が(弟子たちに)話された大切なことは、「見かけを重んじて(信仰の)中身の薄い律法学者に気をつけなさい」という戒めでした。弟子のひとりが神殿の豪華さに見とれて発した言葉に対して、イエスさまは必要な戒めをされたのです。私たちも世的なことに目が留まり、心の満足や慰めを世的なもので満たそうとすることはないでしょうか。きょうの「みことば」は、そのような私たちへの戒めでもあります。
イエスさまは弟子たちに、「神殿が(やがて)崩されること」と「世の終わりが来ること」について話されました。「世の終わりが来る」と聞いた弟子たちは怖くなり、それがいつ来るのか主に尋ねました。しかし、主は言われました。31節、「この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。」 私たちクリスチャンにとって、「世の終わり」が意味することは、「救いの完成」なんですね。すなわち、主が再臨されて「世の終わり」に近づいていくことは、クリスチャンにとって喜びなのです。
私たちは、「決して滅びることがない」と言われたイエスさまの救いの上にしっかり立って歩む必要がありますね。「目を覚ましていなさい」とは、私たちがそのような状態であり続けることを主が願われているように思います。そのためには、私たち(一人ひとり)がイエスさまとしっかり出会い主を崇める必要があります。聖書には救い主と出会った人々のことが記されています。イエスさまの両親ヨセフとマリア、クリスマスの夜、夜番をしていた羊飼いたち、東方の博士たち、シメオン、バプテスマのヨハネ、12弟子たち、ニコデモ、パウロなど。皆、イエスさまを救い主として心から崇めた人々ですね。私たちもぜひ、その中に加わらせていただきたいと思います。37節「わたちがあなたに話していることは。すべての人に言っているのです。目をさましていなさい。』
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