イエスは彼らに言われた。「これはわたしの契約の血です。多くの人のために流されるものです。マルコ14: 24
きょうは「最後の晩餐」のお話です。最後の晩餐で、「イエス様という神の子羊をいただいた」弟子たちについて見てみましょう。
マルコ14: 22~24
それから、みなが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、彼らに与えて言われた。「取りなさい。これはわたしのからだです。」 また、杯を取り、感謝をささげて後、彼らに与えられた。彼らはみなその杯から飲んだ。 イエスは彼らに言われた。「これはわたしの契約の血です。多くの人のために流されるものです。
これは、聖餐式のときに必ず読まれる「みことば」ですね。すなわち、聖餐式のときの「みことば」は、最後の晩餐の中で語られたお言葉、、、、すなわち、過越の儀式(食事)の中で、イエス様が弟子たちに語られた「みことば」なんですね。
過越祭は、主なる神が10の災いをもってイスラエルをエジプトの奴隷から解放し、エジプトから脱出させてくださったときの救いの恵みを忘れないためのお祭りです。そして、過越の儀式では、種なしパンを食し、「ぶどう酒」を器(杯)に注ぎ、その同じ器でもって、(家族の)人々が順次、ぶどう酒を飲む「しきたり」があります。これが、初代教会での「聖餐式」に受け継がれていき、現在のわたしたちの聖餐式に至っているわけです。そして、過越の食事では、家族みんなで「子羊」の肉を食べます。過越のときに、子羊をほふり、流された血をそれぞれの家の門柱に塗ることで、主の災いがそこを過ぎ越していったことを思い出しながら、その救いを感謝して「子羊」の肉を食べるわけです。そして、災いが過ぎ越していった「子羊の犠牲」こそ、みなさん、まさに「イエス・キリスト」なのです。
イエス様は、過越の食事のあと、儀式の中で「パンを割き、『取りなさい。これはわたしのからだです』と仰り、杯のぶどう酒に感謝をささげ、「これはわたしの契約の血です」と仰いました。これは一体何を意味するのでしょうか。 最後の晩餐=過越の食事で弟子たちは「子羊」を食したわけですが、実は、弟子たちは、正真正銘、過越の晩、イエス様という神の「子羊」をいただいたことが分かりますね。これはすごいことです。
24節、
イエスは彼らに言われた。「これはわたしの契約の血です。多くの人のために流されるものです。
イエス様は、あなたやわたしの罪のために「十字架でご自身のからだをささげてくださった」神の子羊です。主は、十字架での犠牲によって、あなたやわたしの罪をすべて取り除いてくださったお方だからです。
きょうは、主の最後の晩餐を、過越の儀式食事をオーバーラップしながら見て参り巻いた。主の十字架での贖いを感謝しましょう。
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