失敗をも益に

「立ちなさい。さあ、行くのです。見なさい。わたしを裏切る者が近づきました。」マルコ14:42

 みなさんは、「修復士」という仕事があることはご存知ですか。壊れた物や劣化し物などを、元通りの姿に修復させるのが修復士の仕事です。あるとき、テレビの番組の中でお皿や茶わんなど陶器を修復する人の紹介をしていたのを見ました。その修復士の方が次のように語っておられたのがとても印象に残りました。「修復士をしていて一番うれしい瞬間は、修復を依頼された方が満面の笑みを浮かべて喜ばれたときです。あるとき、ある方が『母の大切な遺品であるお皿をうっかり落として割ってしまった。元通りに修復してほしい。』と依頼されました。しばらくして修復したお皿をお届けした時、とても喜んでくださいました。」  みなさん、失敗して壊れたものが元通りになって、失敗したことが「帳消し」にされると何と嬉しいことでしょうか。実は、わたしたちも同様に、神の前に失敗の多い者ですが。イエス様が十字架で死んで下さり、「あなた」や「わたし」の失敗(罪)を神の御前で完全に帳消しにしてくださったことを心から感謝します。

 きょうは、ゲッセマネの園でイエス様が捕らえられ、弟子たちが皆逃げ出してしまった場面です。ここから、「失敗」をも福音伝道・宣教に生かし用いてくださる神さまの恵みを見て参りましょう。イエス様を裏切ったのはユダだけではありませんでした。ヨハネ福音書18章を見ると、弟子のペテロが大祭司のしもべの耳を切り落としたとき、イエス様は弟子たちに剣をおさめるよう命じました。このとき戦意を喪失した弟子たちは皆、その場から逃げ出しました。ですから、イエス様を裏切ったのはユダだけではありませんでした。しかし、ユダんお裏切りと他の弟子たちとは明らかな違いがありました。それは「悔い改めをした」か、「しなかった」かです。ユダは悔い改めができませんでした。一方、他の弟子たちはイエス様を裏切ったことをずっと後悔しました。そして、イエス様はそのような悔い改めた弟子たちの前に現われ、十字架での傷を示し、復活された姿を弟子たちに見せて励まされました。イエス様は悔い改めた弟子たちの「裏切り」を完全に赦されました。そして、ペンテコステの日、イエス様が十字架で成し遂げてくださった恵みを霊的に明確に気づかされた弟子たちはどうなりましたか? 以前の弟子たちとは明らかに違って、命がけでキリストの福音を伝える人物に変えられていったじゃないですか。

 神さまは、神の御心に背いてしまうような、わたしたちの「失敗」をも用いてくださるお方ですね。失敗をすることは決して悪いことだけではありません。なぜなら、わたしたちは「失敗」をすることで、主が十字架で完全にその罪を、失敗を赦されたことを経験できるからです。そして、福音伝道・宣教には、主がわたしを赦してくださったという霊的な経験、その確信が原動力となるからです。

「立ちなさい。さあ、行くのです。」と仰るイエス様に押し出されて、主の福音を伝えて参りましょう。