わたしがそれです

大祭司は、さらにイエスに尋ねて言った。「あなたは、ほむべき方の子、キリストですか。」 そこでイエスは言われた。「わたしは、それです。マルコ14:61,62

 きょうは、イエス様が捕らえられ、ユダヤ人たちの裁判を受ける場面から、「信仰告白をする大切さ」に気づかせていただきましょう。裁判の中で、大祭司は、イエス様が何も答えないことに苛立ちながら、こう尋ねました。「あなたは、ほむべき方の子、キリストですか。」 

 「ほむべき方」とは「神様」のことなのですが、当時のユダヤ人たちは「神様」という言葉を口にすることを畏れ、「神」という言葉すら口にしないように心掛けていたんですね。ところが、どうでしょう。このあとイエス様はご自分のことを「わたしは、それです。」と答えられたのです。大祭司は、自分のキリストだと口にしたイエス様のこの返事を耳にして衣を引き裂いた、とありますから、主の言葉を聞いて怒ったわけです。このナザレの大工をしていた男が、自分を「ほむべき方の子キリスト」だと言っている、、、もう他に何の証言もいらない。ここにいる人々も皆聞いたのだから、とですね、、、イエス様に死刑を言い渡しました。

 さあ、ここで大祭司カヤパについて見て参りましょう。実は、カヤパは「わたしは、それです」と仰った主の言葉に怒りを燃やしたことが分かります。しかし、彼はこのとき、神の御子がそこにおられたのに、イエス様を神と認めることができませんでした。主はこのとき、出エジプト記でモーセに自己紹介した時の「わたしは(あって)あるものである」、、、英語で言えば、I amという言い方を引用されたんですね。旧約の律法に通じていたはずの「大祭司」でしたが、イエス様がI amと答えたにも関わらず、そのことに気づかなかったことがわかります。

 でも、イエス様を信じ受け入れないのは、私たちも同様ではないでしょうか。日本の中で、偶像の神々がある中で、聖書の神イエス様こそ、まことの神です!、となかなか言えないのと同じではないでしょうか。私もミッションの大学に行き、宗教学でキリストを学んだのですが、、、、やはり、主を救い主であると気づくことが出来ませんでした。しかし、主は不思議です。時が流れ、私が就職してまだ独身の頃でしたが、父の死がきっかけでクリスチャンだった妻が教会に私を導いてくれたんですね。妻は牧師の娘でした。そして、今、わたしが牧師をしているのは、本当に神の不思議。イエス様は生きておられます。ハレルヤ!

 このあと、ペテロがイエス様を、三度、「知らない」と答えてしまいました。イエス様を主と告白しながら、主を裏切ってしまうペテロや弟子たちも罪深いですが、そんな罪深い一人ひとりのために、また、「あなた」や「わたし」の罪のために、主は自らを「わたしは、それです」「キリストです」と真実を証言して身代わりに死んで下さいました。弟子たちは、復活の主に出会い、主を裏切ったことを悔い改めました。そして、聖霊をいっぱいに受けて「イエス様こそキリストです」と証言できる人に変えられました。私たちもそのようになりたいと思います。