福音を伝える力

それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。マルコ16:15

 きょうは、「復活のイエスに出会った人々」について見て参りましょう。

復活されたイエス様は、最初にマグダラのマリアのところに現われました。なぜ最初にマリアのもとに現われたのかは分かりませんが、「マリアなら、自分が復活したことを信じて、そのことを男の弟子たちに知らせに行くことを、主はご存知だったのだと思います。マリアは、以前、主から七つの悪霊を追い出して頂いた経験があったんですね。七つの悪霊とは、悩み、苦しみ、恥、病苦、過去など、様々な縛りから、主によって解放して頂いた女性だったことが分かります。ですから、主への感謝や信頼が一杯あったことは間違いありません。そんな彼女だったからこそ、主の死は悲しかったはずですが、「主の復活」の知らせは、天使への遭遇で気が動転していたけれども、冷静になると、「喜び」や「希望」へと変えられました。ヨハネ20章には、主から「マリア」と声を掛けられたことが記されています。復活の主に、自分の名で呼ばれたマリアは、主が本当に復活されたことを信じ受け入れられたと思うんですね。

 マリアはこの後どうしたでしょうか。10節には、「イエスと一緒にいた人たちが嘆き悲しんで泣いているところへ行って、そのことを知らせた」、とあります。マリアは男の弟子たちのところへ行って、主が復活されたことを伝えに行ったんですね。また、その男たちのうちの2人が「いなか」(エマオ)の方に向かう途中で、別の姿(すなわち、マグダラのマリアが証言をしたのと)別の姿で、復活の主が彼らのもとに現れました。 彼らの心の目が開かれ、主だと気付いたので、13節、「そこでこの二人も、残りの人たちのところへ行ってこれを知らせた」、とありますから、彼らは再びエルサレムの男の弟子たちのもとへ戻り、主が復活されたことを伝えました。

 しかし、男の弟子たちは「主が復活した」ことを信じなかったんですね。聖書には、復活されたイエス様が彼らの中に立って、彼らの不信仰と「頑な心」を責められた、とあります。 イエス様は、人々からどんなに裏切られても決して人をお責めになりませんでしたが、弟子たちの「頑なな心」を責められました。なぜでしょうか。それは、主の復活を「見ても」信じることができなかったからです。なぜ、彼らは主の復活をすぐ信じることが出来なかったのでしょうか。おそらく、彼らの中に主を裏切ってしまった、、、もう取り返しがつかないことをしてしまった、という後悔の思いが強かったのでしょう。しかし、主は、そんな彼らを思い出のガリラヤで、やり直しをさせて、立ち直らせていったのです。そして、主の復活を信じた彼らも、また、福音を伝える使命をいただいたのです。

 立直った弟子たちは、ガリラヤで主から「大宣教命令」を受けました。すなわち、世界に出て行って主の福音を伝える使命を与えられました。福音を伝える力は、何と言っても、主の十字架と復活による「罪の赦し」を(確信をもって)人に伝える力に他なりません。私たちも、主が私のために復活されたと確信していきたいと思います。