私たちの語るのは、隠された奥義としての神の知恵であって、それは、神が、私たちの栄光のために、世界の始まる前から、あらかじめ定められたものです。Ⅰコリント2:7
皆さんは、宮崎駿さんの「となりのトトロ」をご覧になったことがあるでしょう。小さな子どもには見えて、大人いは見えない世界を描いています。どうして大人になると(子どもに見えるものが)見えなくなるのでしょうか。それは、大人はすぐに物事を疑ってかる傾向があるからです。その点、子どもは素直に物事を受け取ります。どうして大人になると「すぐに疑う」のか。それは、大人になればなるほど、人は多くの経験で物事を総合的に判断するからです。とは言っても、人間が知りえる知識には限界がありますね。どんなに素晴らしいノーベル賞受賞者でさえも、その道の研究においての知識には秀でていても、宇宙や地球上全体についての詳しい知識があるわけではありません。コロナ感染が始まって1年以上経つのに収束の方向に向かっていかないことを考えれば分かりますね。人間の知恵や知識には「限界」があるのです。しかし、聖書の神さまは天地宇宙(すべてのものを)を造られた「全知全能なるお方」であり、人間をも造られ、一人ひとりをつぶさに知っておられるお方です。ですから、人はこの神さまの前に「頭(こうべ)を垂れて、へりくだる」べきなんですね。
パウロはコリント教会の人たちに対して、パウロが初めてコリントを訪れた時のことを思い出してほしいと手紙に記しました。パウロは、コリントで主の福音を伝えたときには、決して難しい言葉を使わず、雄弁な話し方はしませんでした。かえって「へりくだって」「神の前に小さな者として」、単純にキリストの十字架と復活の恵みを伝えたのです。しかし、不思議にも、その「へりくだり」の中に聖霊さまが働かれ、神の御力が働かれたことを証ししました。
パウロがコリント教会の人々たちに教えたかったのは「神の知恵」でした。「神の知恵」とは、神が御子キリストを十字架につけることによって「救いを完成させ」、誰でも神の前に悔い改めて神を信じるならば救われると言う、「神さまの救いのご計画」のことを「神の知恵」と言います。人間の知恵では、決して、この「神の知恵」を理解することが出来ません。神が人を救うために、神ご自身でもあるキリストを十字架で死なせるなんてことを人は信じないのですが、しかし、このことを信じ受け入れるならば「救われる」のです。このことを「あなた」に気づかせ、分からせてくださるのは「聖霊さま」です。あなたが神の前に「へりくだる」とき、聖霊さまが「あなた」に触れてくださり、あなたを悔い改めに導き、「神の知恵」を分からせてくださるのです。わたしたちは、ただただ神さまの前に「小さな者となって」「へりくだる」ことが大切なのです。
わたしたちも、キリストによって一方的に救われた者として、神の前に「小さな者として」、また「へりくだり」を持って福音を伝えていきたいと思います。
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