あなたがたは聖なるもの

あなた方は神の神殿であり、神の御霊があなた方に宿っておられることを知らないのですか。 もし、誰かが神の神殿を壊すなら、神がその人を滅ぼされます。神の神殿は聖なるものだからです。Ⅰコリント3:16,17

 きょうは、パウロがコリント教会の人々に書き送った手紙の中から、「あなたがたは聖なるもの」と題して2つのポイントでお話し致しましょう。

 まず第一に、パウロは手紙の中で、コリント教会の人々のことを「あなたがたは聖なるもの」である、と伝えました。「聖なるもの」とは、神の前に「聖(きよ)いもの」だという事です。すなわち、神に「罪赦されたもの」という事ですね。人はだれでも罪あるものとしてこの世に誕生をします。それは、人類最初の人間アダムとエヴァが神に背き、神からから離れてしまったときから変わりません。私たち人類はみな、アダムとエヴァの子孫だからです。しかし、そんな私たちでも、神が人類を救うためにこの世に下さったイエス・キリストを救い主として信じるならば、罪を赦し、私たちを「聖いもの」として下さるのです。なぜなら、神は、独り子イエス・キリストに、人類の(すべての)罪を負わせ、十字架で身代わりの罰を引き受けさせたからです。ですから、人はキリストの身代わりの死が、自分のためであると信じるならば救われるのです。そして、神の前に「聖なるもの」とされます。しかし、私たちはキリストを信じて洗礼を受けた後でも、悪魔が私たちを神から引き離そうと誘惑してくるわけですが、私たちがいつもキリストを仰ぎ、信頼し、キリストを人生の土台とするならば大丈夫です。神を忘れて自分中心になったとしても、悔い改めてキリストを仰ぐとき、神さまは「大丈夫だ」と仰って下さるのです。コリント教会の人々は、救われてはいましたが、霊的には幼子で、人の力や知識、知恵を強く求めて立派な人を褒めたたえる傾向がありました。しかし、そのような人々にパウロは「褒めたたえるべきお方は主キリストだけです」と警告したわけです。あなたはいかがですか?キリストによって救われている「あなた」は、いつもキリストを土台にして生きているでしょうか。あなたは神への礼拝を重んじていますか? 神よりも仕事を優先していないでしょうか。神に頼らず、人ばかり頼っていないでしょうか。

 第二に、パウロは教会のことを「神の神殿」であると伝えました。神によって召され、「聖いもの」とされたクリスチャンは、「キリストのからだ」として集められ、教会を建て上げていくことを神は喜ばれます。しかし、「聖なるもの」としての私たちが神を軽んじて「聖」を失うならば、それは、神の神殿を壊すことになりますから気をつけましょう。神の神殿である教会は、聖なる神に礼拝をささげる場所です。神は教会の礼拝を通して、私たちと出会い、交わって下さるお方です。そして、神は「聖なる」私たちを宣教に遣わしたいと願っておられます。パウロは、コリント教会が分裂分派によって一致できず、神の宣教の働きを果たせないでいることを心配したのです。私たちの教会も、キリストを土台にして一致して神に遣わされたいと心から願います。