神に買い戻された者の生き方

あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。Ⅰコリント6:20

 性的不品行が行われ、また、それを注意する者がいなかったコリント教会の人々に、パウロは「目指すべきクリスチャン生活」について手紙の中で示しました。

 第一に、パウロは「クリスチャンのからだ」がキリストのからだの一部ゆえに、クリスチャンは不品行から離れるべきだと勧めています。(Ⅰコリ6:15)  私たちは皆知っていますが、聖書によれば、クリスチャンは「キリストが復活された」ように、やがて主が再臨されるときに、私たちも「主のような栄光のからだに復活させていただける」約束に預かっています。教会はキリストのからだである、と聖書に記されているように、教会とは、まさに、「あなた」であり、「私」なんですね。ですから、私たちは「キリストのからだの一部」であるがゆえに、主が復活されたように、私たちも復活させていただけるのです。パウロは、「キリストのからだを取って遊女のからだとするのですか。そんなことは絶対に許されません。」とですね、コリント教会の人々を戒めました。今に生きる私たちも同様に、神は私たちをキリストのからだの一部と認めて下さっているのですから、キリストのからだを汚してはならないのです。

 第二に、パウロは「神が(あなたがた)クリスチャンのからだを、代価を払って買い取られた」ゆえに、クリスチャンは不品行から離れるべきだと勧めています。(Ⅰコリ:20) イエス・キリストを救い主として信じた「あなた」や「わたし」は、神が代価を払って「買い取ってくださった」とあるように、あなたや私は(今や)神に買い取られた存在ゆえに、神のものなんですね。神は、ご自身がこよなく愛して造られた人間が(神から離れ)、罪の中にあえぎ、「罪の奴隷」となっている姿を憐れみ、御子キリストという犠牲(代価)を払うことを厭(いと)わず、「あなた」や「私」を罪の中から救い出してくださいました。みなさん、神が払ってくださったキリストという犠牲(代価)は、私たち一人ひとりにとって(何にも代えがたい)最高の代価なのです。

 神がキリストという代価を払って買い戻してくださった「あなた」や「わたし」は、19節で神が言っておられるように、「もはや自分自身のものではない」「神があなたがたの中に住み」「神のもの」だと仰るわけです。主人に買い取られた「奴隷」が主人のものとなるように、神に買い取られた「私たち」は(すでに)神のものです。それゆえ、パウロはコリント教会の人々に、神の所有に属する「あなた」が不品行であってはならない、と訴えています。同様に、今を生きる私たちの心の中にも「不品行」を犯すかも知れない危険があることを忘れてはいけません。自分がもしそのような誘惑に襲われるときには、自分自身が主のからだであることを意識して、誘惑をしりぞけ、神の栄光を現す者でありたいと思います。