みなの益となるために

しかし、みなの益となるために、おのおのに御霊の現れが与えられているのです。Ⅰコリント12:7

  コリント教会には「聖霊の賜物」を豊かに与えられている人々が沢山いましたが、賜物の用い方を誤っている者が多かったようです。その誤った用い方とは、いったいどんな用い方かと言えば、与えられた賜物を他人と比べて、自分の方が劣っていると思えば嫉妬したり、また、自分が優っていると感じれば、他人を見下したりする人がいたようです。だから、コリント教会には分裂分派が生じた、と言われています。 そこで、パウロは聖霊の賜物の用い方について大切なことを教えています。

また、聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です」と言うことはできません。(Ⅰコリ12:3)

 大切なことは、「イエス様は私の主です」と告白する者には、だれにも聖霊が与えられているということです。「私の主」とは、「イエス様こそ私の主人です」と告白することです。イエス様によって救われた命ですから、生涯、イエス様に従って仕えていきます、という意志を表明する者がクリスチャンであり、聖霊を与えられた者です。 ですから、「イエス様に仕えていく者が、勝手に自分の栄光(都合)のために賜物を用いて、それを他人と比べることは全く意味のないことであり、神が願われていることではない、とパウロは伝えたかったわけです。イエス様も、十字架につかれる直前でしたが、「御霊は神の栄光を現わします」(ヨハネ16:14)と弟子たちに告げました。私たちクリスチャンは皆、神の栄光を現わすために聖霊の賜物を与えられている。そのことを忘れないようにしたものです。

 イエス様を救い主として信じる私たちは、例外なく聖霊の賜物を頂いているのですが、神さまから頂いている聖霊の賜物が何なのかよく分からない人がほとんどかも知れません。しかし、賜物がよく分からないかも知れないけれど、教会の奉仕や働きの中で、自分が喜んでさせていただいていることは、おそらく、賜物を頂いているからこそ出来るのだと思います。皆さんも、以下のような奉仕を「喜びをもって」されていませんか。例えば、①(大人や子どもに)聖書のお話をしたり、②礼拝や集会で喜んで賛美をしたり、③礼拝の中で喜んでお祈りをしたり、④喜んで司会をしたり、⑤教会をお花でいっぱいにしたり、⑥伝道文書を喜んで書いたり送ったり、⑦また、礼拝に来られない人を喜んで訪問したり、 ⑧困った人がいると放っておけすに助けたり、、、、⑨教会の中で壊れた物があると喜んで修繕をしたり、、、、⑩教会に美味しい物や料理を持ってきて人々を喜ばせてくれたり、、、、、⑪人の見えないところで、教会をお掃除してきれいにしてくれたり、、、、⑫教会や教会学校イベントの看板を作ってくれたりと、どうでしょうか、あなたにも(このような)賜物があるんじゃないですか。

 皆さんは、神の栄光が現われるために喜んで賜物を用いるとき、教会が一致し、教会が成長し、宣教の働きが前進するのです。「しかし、みなの益となるために、おのおのに御霊の現れが与えられているのです。」(Ⅰコリ12:7)とある通りです。