神のものである印

神はまた、確認の印を私たちに押し、保証として、御霊を私たちの心に与えてくださいました。Ⅱコリント1:22

〇陶器の裏に「印」が押されていたり、名前が記されていたりするものがありますね。これは作者名を表す「印」であり、また「名前」です。同様に、主キリストを信じるクリスチャンにも「印」が押されていると、聖書は語ります。きょうの聖書箇所には「確認の印」とありますが、これは、神さまがクリスチャンである「あなた」が「神ご自身のもの」で間違いないと押してくださる確認の印なのです。

〇今年の夏、家族で「陶器づくり」体験に行ってきました。ろくろを回して粘土の形を整えて「器」にしていく体験です。ろくろを回して器を作るのって、結構難しいものですね。はじめての経験で何を作ればいいのか分からず戸惑ってしまいました。しかし、私たちを造られた神は、私たち一人ひとりを、目的をもって、それぞれ違うものに造られたことを思い浮かべました。神さまは私たち一人ひとりを(どのように造ろうかと)しっかり決めて造られたことを思うと嬉しくなりますね。さて、私たち家族が作った陶器が一月(ひとつき)後にわが家に届きました。陶芸店のほうで焼いて送ってくれたのです。早速、食事で使おうとしましたが、陶芸店から、「器を『電子レンジ』で温めないように」との注意書きが添えられていました。なぜ電子レンジで温めてはいけないのか分かりますか? それは、電子レンジで温めてばかりいると、器にひびが入り割れてしまうとのことでした。電子レンジで温めるとなぜ割れやすくなるのか。それは、器を焼いた温度が高くなかったからです。陶器を高温で焼くと硬い陶器に仕上がるのですが、低い温度で焼くと「もろい」器になってしまいます。

〇信仰の世界も似たようなことが言えます。焼きの足らない信仰は「もろい」ということです。「焼き」が足らない「もろい」信仰とは、どのような信仰でしょうか。それは、イエス様を信じても過去の失敗や出来事に、いつまでも悩まされる信仰です。また、困難を覚える時に不安で仕方なく、足元がぐらついて神様イエス様以外の「人」や「物」に頼って不安をまぎらわそうとする人です。そのような人は、おそらくキリストが自分のために十字架で死んでくださったことがまだ分からない人ですから、キリストの救いを確信する必要があります。その人は、主が自分のために死なれたことを、聖霊によって分からせてもらうだけです。聖霊の火によって焼かれて(初めて)、自分に聖霊の証印が押されていることがわかるのです。聖霊(の証印)を頂いていることが分かる人は、イエス様によって救われていることが分かる人であり、自らが神のものであることが分かる人です。そのような人は、やがてキリストが再臨されるとき、贖われ、天国に入れていただけることを確信できる人です。なぜならば、神は「あなた」や「わたし」が救われて、神のものである証拠に、、、その保証として御霊(聖霊)をくださっているからです。

〇パウロがコリント教会を励ましたように、教会には「キリストの愛による一致」が大切です。そのために、私たちが皆、聖霊による確認の印をしっかり頂きたいと思います。