キリストの香りを放つ

しかし、神に感謝します。神はいつでも、私たちを導いてキリストによる勝利の行列に加え、至る所で私たちを通して、キリストを知る知識のかおりを放ってくださいます。Ⅱコリント2:14

  パウロは、エペソからトロアスに向かいました。そこでテトスを待っていたのですが、この時テトスに会えなかったパウロは不安で心がいっぱいだったことがわかります。なぜなら、先にテトスを通してコリント教会に送った「第一の手紙」を、コリント教会の人々がどのように読んで受け取ったかがわからなかったからです。パウロでも心配で心が落ち着かないことがあると思うと、私たちの慰めになりますね。なぜなら、私たちクリスチャンも、落ち込んだり不安に陥ったりするからです。しかし、パウロは本日の箇所を読むと気づくのですが、、、、心配や不安で心が弱り果てていた時にもかかわらず、「しかし、神に感謝します。」と語っています。それはどうしてでしょうか。なぜなら、トロアスでテトスに会えず、不安の中で「弱り果てていた」なんとその時、聖霊様が働かれ、福音の門を開いていてくださり、パウロが語る福音によって救われる人々が起こされたからです。 「神の力は、弱さのうちに完全にあらわれる」(Ⅱコリント12:9)との御言葉がありますが、パウロは、自分が弱いからこそ、主に委ね、主の力に頼り、(弱いパウロを通して)主が働いてくださったことを証ししているわけです。

 また、本日の箇所でパウロは、「神は、私たちクリスチャンを、キリストの勝利の行列(行進)に加えてくださる」お方だと語っています。むかしローマ軍が戦いで勝利をおさめた時、敗戦国の人々を引き連れてローマの町に凱旋していました。出迎えたローマの人々が道々に香りがする草花をまき、それを行進していく兵士たちが踏んでいく時、とっても良い香りを放ったそうです。実は、キリストに出会って、主の愛にふれる私たちが悔い改めをする時、私たちは主の前に全面降伏をして(主に)従う者となるのです。そのことを指して、パウロは私たちクリスチャンのことを、「キリストの勝利の行列(行進)に加えられる者」だと語ったのです。戦いに敗れるのは「惨め」なように思えますが、実は、戦いに敗れた者がローマの凱旋行進に加えられていたように、キリストによる「勝利の行進」の中に「主に自身を明け渡した者」も加えられているように、キリストの勝利を自分も見ることができる特権にあずかっている、、、、、これが、クリスチャンの姿だとパウロは語っているわけです。

 私たちはキリストにつながれた者、キリストに捕えられた者です。したがって、それは自分がキリストの前に打ち砕かれる経験(痛み)を伴うことで、キリストの勝利を見ていくことができるということです。創世記32章で主の御使いと組討ちをしたヤコブの姿もそうです。御使いに股関節を外され、自分の力ではもうどうにもならなくなったヤコブは、神の前に全面降伏をしました。しかし、神はそんなヤコブを祝福し、イスラエルの名を与えたではないですか。自分が弱い時に、主が力強く働いてくださる。自分駄目だと思っている時、キリストが(駄目な自分を通して)祝福してくださる経験をするということなのです。私たちは(ぜひ)そのようなクリスチャンを目指して参りましょう。