私たちはいつも心強い

私たちをこのことにかなう者としてくださった方は神です。神は、その保証として御霊を下さいました。そういうわけで、私たちはいつも心強いのです。Ⅱコリント5:5,6

  私たちクリスチャンは、キリストによる救いを信じて内側に「聖霊」をいただいています。聖霊をただいていることによって、私たちは日々新しくされ(やがて)天国に導かれることを信じているわけです。しかし、私たちは(まだ)贖われているわけではありません。すなわち、天国に入っているわけではありません。私たちはまだ(肉体をもって)地上に生かされています。地上においては、肉体から来る弱さのゆえに、病気や日々の生活からくる不安や恐れに陥ることになるわけです。

 1節で、パウロは肉体のことを「地上の幕屋」と表しました。そして、やがて贖われたときに頂く「復活のからだ」のことを「天の建物(住まい)」と表しています。地上の幕屋とは「テント」のことですが、パウロは(伝道しながら)テントづくりの仕事をしたことがありました。最近、「ひとりキャンプ」が流行っているようですが、キャンプのときには(よく)テントに泊まります。しかし、毎日ずっとテントで生活することになるとしたらどうですか?不安でしょう。台風が来たら心配です。快適なエアコンも電化製品も、トイレもありません。それに比べ、いつも暮らしている家は便利に出来ています。パウロは、救われて贖いの約束をいただいても、私たちが肉体をもって地上を生きることには、テントで暮らすような不安や恐れがつきまとうものであると語っています。そして、やがて私たちが頂ける神の下さる建物=「復活のからだ」は不安や恐れが何もない快適な住まいであると語っています。

 パウロは、4節で「この幕屋の中にいる間は、私たちは重荷を負ってうめいている」と表現しています。すなわち、私たちは(内側に聖霊を頂きながら)地上では肉体をまとい、不安や恐れを経験します。しかし、そのような不安や恐れを飲み込むかのように、やがて頂くことができる「復活のからだ」への希望と確信がパウロを覆います。6節と8節で、パウロは「私たちはいつも心強い」と繰り返しています。なぜでしょうか。それは、私たちがやがて「復活のからだ」を頂けるのは間違いのないことだからです。神はその保証として御霊(聖霊)を私たちに下さっているのです。これは、私たちが前金を払って商品購入を予約しているようなものなんですね。残りのお金を払えば、完全に商品が手に入ります。私たちが贖われ、復活のからだを頂けるときは、この肉体をぬいで、やがて主がおいでいなるときです。そのときは必ずやって来る!! その保証が「聖霊」なのです。

 私たちが実行することはただ一つ。主から目を離さず、「主の約束」と「主の最善」を信じる!!これだけです。地上の幕屋である肉体は確かに壊れていくものかも知れませんが主に感謝しましょう。なぜなら、あなたの内におられる聖霊が日々働かれ、あなたの不安や恐れを飲み込んで、あなたの心に限りない平安を与えて下さるからです。