与える恵み

あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。Ⅱコリント8:9

 イスラエルには2つの湖があります。ガリラヤ湖と死海です。ガリラヤ湖には北方のヘルモン山から(絶えず)清い水が注がれると同時に、ヨルダン川を通して、下流の死海に向けて(絶えず)水を注ぎ続けています。すなわち、ガリラヤ湖は水が絶えず循環している湖です。一方、死海には水が溜まり続けます。同様に、私たちクリスチャンも(イエス様を通して)絶えず神様から注がれる恵みと祝福を、神様を知らない多くの方々に注ぐ働きをさせていただき、神の恵みを循環させる者でありたいと願います。

 8章では、パウロは「献金」のことに触れています。実は、このころ、エルサレム教会が大変な状況にあって、クリスチャンたちの生活が困窮していたらしく、アンテオケ教会から献金や応援物資を送っていました。宣教の旅をしていたパウロたちも、諸教会を巡りながら、エルサレム教会への献金を呼びかけていました。マケドニアのピリピ教会やテサロイケ教会も献金をささげ、それをパウロが喜んだことが1節からわかります。彼らが献金をささげたことを、パウロは「神の恵み」だと表現しています。パウロは、彼らが献金ささげたことを(なぜ)「神の恵み」だと表現したのでしょうか。なぜなら、彼らに「神の恵み」としてイエス様による救いの恵みが注がれたように、彼らもまた、主から頂いた恵みを自分たちだけに留めず、『献金して助けるという形で』、困窮するエルサレム教会の聖徒たちに「神の恵み」を注いでいったからです。彼らは、イエス様がされたように「ささげた」のです。9節を読むとわかりますが、イエス様は神であるお方なのに、人として生まれ、貧しい者の中に住んで下さり、なんと「あなた」や「わたし」の救いのために十字架で死なれるためにクリスマスに生まれて下さいました。それは、主を信じる者が罪赦され、「神の子ども」とされるためです。私たちの最終目的地は「天国」です。地上ではどんなに裕福になっても、その富を天国に持ってはいけません。イエス様が「天に宝をつみなさい」と勧められたように、自分の財産は減るかも知れませが、困っている人のために「ささげる」ことは、天に宝をつむことになり、それが「神の恵み」なのです。パウロは、コリント教会のクリスチャンたちにも、ピリピやテサロニケ教会のクリスチャンたちのように「あなたがたも『ささげる』者になりなさい」と勧めています。そして、これは、現在の「あなた」や「わたし」へのお勧めでもあります。

 「恵み」と言うと、私たちは「受ける恵み」のことをまず考えてしまいます。しかし、私たちは神の愛、イエス様の救いを「恵み」として受け取って(それで)終わってはいけません。主から「受けた恵み」を「与える恵み」にしていきたいと思います。イエス様が貧しくなって下さったばかりか、十字架を通して「あなた」や「わたし」の救いを成し遂げて下さった恵みを覚えつつ、、、私たちも「与えること」を「恵み」にしたいと思います。