10人の癒された人々

そのうちのひとりは、自分のいやされたことがわかると、大声で神をほめたたえながら引き返して来て、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。彼はサマリヤ人であった。ルカ17:15,16

 きょうは、イエス様がエルサレムに向かう途中、サマリヤとガリラヤの境を通られたときのお話です。サマリヤはかつて北イスラエル国の一部でしたが、アッシリヤによって国が滅ぼされた時に多くのアッシリヤ人が移り住み、サマリヤに住むイスラエル人との間に強制的に雑婚が進められました。純血を重んじる南ユダ国のユダヤ人たちは混血となったサマリヤを軽蔑視し、彼らを外国人とみなしていたわけです。ですから、多くのユダヤ人たちは旅をする時サマリヤを迂回して通ったのですが、しかし、イエス様はあえてサマリヤとガリラヤの境を通られました。おそらく、そこにはイエス様が救いに導きたい人々がいたからでしょう。

 ある村を通られた時、ツァラアト(重い皮膚病)に冒された人々が遠くからイエス様に、「どうか病を癒してください」と願い求めました。この村はツァラアトの人たちを社会から隔離するための場所だったのでしょう。しかし、主は(あえて)彼らに出会いに行かれたのです。そして、彼らに「行きなさい。そして自分を祭司に見せなさい」と命じられました。当時、ツァラアトの癒しを確認するのは祭司の仕事でした。ツァラアトの人々は主の言葉を聞いた時、それを信じ、それに従いました。そして、祭司のところに向かっていくうちに、みるみる病に冒された身体がきれいになっていきました。イエス様の言葉には、ものごとを起こす「力」があるのです。主はお言葉ひとつで、嵐をしずめ、熱病をいやし、死人を生き返らせたお方です。同じ主の言葉によって、祭司のもとに出かけて行った10人のツァラアトの者たちがみな癒されたのでした。

 しかし、このあと、その10人のうち、サマリヤ人だけがイエス様のところにもどって来て、主に感謝をささげたのでした。イエス様が「この外国人だけが」と仰っているところから、残りの9人はガリラヤに住むユダヤ人だったのでしょうか。この残りの9人はどこへ行ったのでしょうか。おそらく、彼らはイエス様が発した言葉によって病が癒されたとは思わず、自分が元々住んでいた場所に戻っていったことでしょう。もしもイエス様が「自分を祭司に見せたら戻って来なさい」と命じていたなら、彼らは戻って来たかも知れません。しかし、イエス様はそうはなさいませんでした。なぜでしょうか。、、、、なぜなら、人は(強制されて)神に感謝をささげるわけではなく、神から受けた愛、恵み、親切に応答して感謝をささげるものだからです。

 サマリヤ人はイエス様の言葉で癒されたことに気づき、イエス様に感謝をささげ、また礼拝するために主のもとに戻ってきました。

 私たちもいつも、主とそのような関係でありたいと思います。イエス様と出会い、救われた恵みをいつまでも忘れずに、主のもとに集まって礼拝したいと願います。