このとき、ヨアシュの子ギデオンはミデヤン人からのがれて、酒ぶねの中で小麦を打っていた。主の使いが彼に現れて言った。「勇士よ。主があなたといっしょにおられる。」
士師6:11b,12
士師記6章の中で、神はギデオンを士師に選ばれ、御使いを送って彼に「勇士よ」と語り掛けました。その時ギデオンは何をしていたのかと言えば、彼は「ミデヤン人からのがれて、酒ぶねの中で小麦を打って」いました。酒ぶねとは、ぶどうの実を踏んでぶどう酒を作るための大きな桶のようなもので、彼はミデヤン人を恐れ、その中に隠れて小麦の脱穀をしていたわけです。これは「勇士」らしくない姿です。そのようなギデオンに対して、「勇士よ。主があなたといっしょにおられる」と、神は言われたのです。しかし、ギデオンは主に対して、「ああ、主よ。もし主が私たちといっしょにおられるなら、なぜこれらのことがみな、私たちに起こったのでしょうか。」と、疑いと不平の思いをぶつけています。私たちクリスチャンも、内に住んでおられる聖霊がともにおられ、天国に至るまで人生を導いてくださると信じていても、、、、大きな試練に遭遇すると途端に足元がぐらついて動揺することがあります。それは私たちが不信仰と言うよりも、私たちの人生には(ときに)それほどに厳しい試練があるということです。神がともにいて下さるという「みことば」に納得のいかないときがある、、、、。そこに私たちの信仰の戦いがあるわけです。しかし、「主が一緒におられる」という「みことば」は、「人生が常に順風」と感じている人のためにある言葉ではなくて、苦しみの中を歩む人を慰め励ましてくれる言葉なのです。763
主は、こののち、ギデオンを強め、ミデヤン人の手からイスラエルを救い出す働きをお命じになりました。ギデオンはなおも神の約束を信頼できず、「主がともにおられる」しるし(証拠)を見せてほしいと、神に何度も願い出ます。主は彼の申し出に応え、「神がともにおられる」証拠をお見せになりました。本日の6章のところを読んでいると、ギデオンはとても「勇士」には見えません。本当は弱くて、疑い深くて、怖がりの人物に見えます。しかし、そんなギデオンを選ばれ、「勇士よ」と語りかけ、しるしを示し、怖がりのギデオンを士師として育てて下さいました。私たちも、この主なる神によって選ばれ、教会へと導かれ、イエスさまを信じ、聖霊がうちに住んでくださり、主がともにおられる、という恵みの中で歩んでいるのです。私たちも(もちろん)勇士ではありません。ギデオン同様、弱くて、疑い深くて、怖がりです。み言葉を聞いても納得せず、目に見える現実に心奪われてしまう者です。しかし、そのような私たちを、主は選んで下さり、愛と寛容をもって大切に育て導いて下さるのです。
主はギデオンを選ばれたとき、「勇士よ」と仰いました。ギデオンのどこが勇士なんだろうと思うのですが、弱くて、疑い深くて、怖がりのギデオンですが、それでも主の言葉に従って立ち上がっていくところを、神はご覧になり「勇士よ」と呼んでくださるのです。主を裏切ったペテロがイエスさまによって立ち直っていく様(さま)を私たちは知っています。そんなペテロを主は用いられました。私たちも主に選ばれて聖霊をいただいている身です。神様から「勇士よ」と呼ばれて用いられたいと思います。
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