イエスはこのことを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行い、ご自分の栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。ヨハネ2:11
きょうは「カナの婚礼」のお話です。イエス様が、カナの婚礼において「水」を「ぶどう酒」に変えられたお話はよく知られています。結婚式において「祝いの酒」がなくなるというのは、主催者である花婿にとって大失態となります。しかし、母マリアと共に結婚式に招かれていたイエス様が「水」を「ぶどう酒」に変えられたことで、花婿は恥をかくことなく、祝福のうちに結婚式を進めることができました。しかし、みなさん、これは、イエス様によって祝福された結婚式がいかに素晴らしいかを紹介しているのではありません。もちろん、ふつう、結婚式の主役は「花婿」と「花嫁」です。しかし、「水」が「ぶどう酒」に変わるという「カナの婚礼」における真の主役は「イエス様」なのです。
11節にあるように、イエス様はカナの婚礼での奇跡を通して、ご自分の「栄光」を現されました。その栄光とは、ヨハネ1:14に記されているように、イエス様こそ、「父のみもとから来られたひとり子」としての栄光です。この奇跡を間近に、直接に経験した弟子たちはイエス様を神の御子として信じました。このカナの婚礼を通して、神様が最も伝えたいメッセージとは何でしょう。それは、弟子たちがイエス様を神として信じた、という事実(出来事)です。イエス様がバプテスマのヨハネから洗礼を受けたのち公生涯に入られ、ガリラヤで御国の宣教を始められたわけですが、このカナの婚礼の場で、弟子たちがイエス様を初めて御子キリストとして信じていく、、、、この「人が救われていく最初の奇跡」のことを、ヨハネの福音書では、「最初のしるし」と表しました。
さて、きょう、イエス様によって「水」が「ぶどう酒」に変えられた奇跡を通して、私たちは神様から何を教えられるでしょうか。第一に、イエス様のお言葉には力があり、主が命じられることは「その通りに」なるということです。そして、第二に、主が命じられる言葉に「従う」ということの大切さです。母マリアは結婚式の裏方を務めていたのでしょうか。ぶどう酒が無くなってしまったことを息子イエスに相談するのですが、イエス様からは(すでに)公生涯に入っていることを示され、マリアは手伝いのものたちに、「あの方が言われることは、何でもして上げてください。」と言い直しています。マリアは手伝いのものたちから厚く信頼されていたに違いありません。彼らもイエス様の言われる通りに「従い」ました。
私たちはイエス様が命じられた通りに、何でも「従う」ことができるでしょうか。「深みに漕ぎ出して網を降ろしなさい」と命じられたペテロが、漁師の経験から、「一晩中漁をしても一匹も獲れなかった」と主に言葉を返したように、、、、私たちも主の言葉よりも自分の経験を優先させる罪深いものであるように感じます。しかし、イエス様は「水」を「ぶどう酒」に変えられたように、このような罪深いものさえも、主は救いへと導いてくださるのです。感謝致しましょう。
#浜松 #教会 #心のごはん
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