神の選びサムソン

サムソンは父に言った。「あの女を私にもらってください。あの女が私の気に入ったのですから。」 彼の父と母は、それが主によることだとは知らなかった。士師14:3,4

 サムソンと言えば、何と言ってライオンを引き裂くほどの怪力の持ち主で有名 ですね。でも、彼の力はどこから来ていたのでしょうか。聖書によれば、神様か ら与えられた力であったことがわかります。彼はナジル人であって、神様に誓願を立てて、神に聖別されて「神のもの」とされた人物だったからです。ナジル人のほとんどは、本人が誓願を立てるのですが、サムソンの場合は、母親が彼の生まれる前に(神に)誓願を立てています。サムソンの母親はなかなか子どもに恵まれず、大きな苦しみの中にありました。そんな母親のもとにみ使いが現われ、「男の子が与えられる、、、その子をナジル人とせよ。彼はイスラエルを敵から救う先駆者となろう」と告げます。その御告げ通りサムソンが生まれたわけです。

 サムソンはどんな人物に成長したでしょうか。へブル11章32節には、彼はら 「信仰の人」だと記されています。しかし、サムソンのことが記されている士師記13~15章を読むとき、彼が信仰の人だとは思えません。なぜなら、彼は怪の 力でしたが女性に弱いという弱点がありました。彼は神に誓願を立てたナジル回 人でしたが、異邦人であるペリシテ人の女性に一目ぼれをし、親の反対を押し切って結婚しようとします。そして、その祝宴の席でペリシテ人たちに「謎解復 き」問題を出していきます。その謎解きは良かったのですが、その問題の答えを結婚しようとしているペリシテ人の妻にせがまれて教えてしまいます。結局、 謎解きの答えが(敵の)ペリシテ側に知られてしまいます。彼は16章で再び女性デリラに色仕掛けで大切なことを教えてしまう過ちを犯します。彼はとてもめ 「信仰の人」であるとは思えないのですが、、、不思議にも、神はそのようなサムソンをそのご計画の中で用いられたのです。

 さて、私たちはどうでしょうか。神は一方的に「私」と出会って下さり、イエス様 を救い主として信じる信仰を与えて下さいました。イエス様と出会う以前の「私」は(人が何のために生きるのか)を知らず、ただ、自分の好きなように生きてきたように思います。しかし、神はそんな「私」と出会って下さり、そんな「わたし」の罪を帳消しにするために、神のひとり子イエス様を十字架につけられたのです。私たちはイエス様を信じて罪赦され救われているのですが、、、、どう でしょうか。神様が願われているような生き方ができているでしょうか。否、実 際は救われる以前の自分と(それほど)変わらない自分がいるのではないですか。それでも、神は「私」を愛するがゆえに、イエス様を通して赦し続けて下さり、「信仰の人」として見て下さっているのです。

 サムソンは決して「信仰の人」と呼ばれるような生き方ができた人物とは言えませんでしたが、しかし、神は彼を通して、当時ペリシテによって支配されていたイスラエルがペリシテとの戦いに立ち上がる機会を待っておられました。神 は、今、私たちにも立ち上がって主の福音を伝える働きをするのを待っておら れるように思います。そのために、神は、「あなた」や「私」を選んで下さったの です。主の霊(聖霊)に激しく燃やされて出ていきたいと思います。

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