あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、、、ヨハネ15:16
先週の日曜日、バルナバ会で、「自分のこれまでの人生を時系列にして表してみると、神様があなたを召されているのがわかる」と教えていただきました。確かに、時系列にして人生を振り返るとき、ここで、イエスさまが出会って下さり、ここで触れて下さり、ここで主が私を招いて下さったのだと感じます。むかし、教会に行き始めの頃、まだ信仰がわからない時、「自分が神様に出会って信仰を持つにはどうすればいいか」と考えていたことを記憶しています。でも、実際にはそうではなく、神が生きて働かれ、私に出会い、私に触れ、私を招き、主のもとへと私を導いて下さったのですね。聖書の言葉に、「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、、、」とある通りです。主は十字架におかかりになられる前夜、最後の晩餐の後、弟子たちにこのお話をされました。
かつて私は「神様を信じるにはどうすればよいのだろう」とまじめに、真剣に悩んだことがありましたが、神を信じるとは人間の頭で計算し、人間的に努力してできるものではありません。そうではなくて、私たちにできることは、只ひたすら、「あなたのことをわからせて下さい」と神に願い求めることだけです。そうすると、神様が動いて下さり、私にタッチして下さるのです。なぜですか?それは、神はいつでもあなたやわたしを神のもとに取り戻したいと願われているからに他なりません。神はいつもあなたを見ておられる。そして、あなたが神に祈り求めるときを待っておられるんのです。そして、あなたが主に、「私を用いて下さい」と願い出るとき、神はあなたを召して(任命して)用いられるのです。
主が「あなた」を任命されるのは何のためでしょうか。聖書に、「あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、」とあります。私が実を結ぶため、そして、実が残るためだと言うんですね。イエスさまが言われる「実を結ぶ」とはどういうことでしょうか。私たちの知識や技の努力の結果として、人々の生活の役に立つような、何か実績や功績を残すということでしょうか。人の役に立つのはいいことですが、イエス様が仰る「実を結ぶ」の「実」とは、人の力や努力の結実のことではありません。神様が結実させて下さる「実」のことであり、御霊の実のことです。御霊の実は、イエス様を信じて歩む者全てに、主が祝福して与えて下さいます。どうして主を信じて歩む者全てに御霊の実が与えられるのか。それは、主を指し示し、主をお証しするためです。私たちの中に主がおられ、御霊の実があるならば、私たちは主の証人となれるのです。それは、主を信じるあなたや私の中に、主の命があるからに他なりません。
命があるものでなければ、新たな命を産み、実を結ばせることができないからです。あなたや私の中にある主からの命が、次の命を生み出し、その命がまた新たな命を生み出していく、、、そのような主の尊い働きに遣わされたいと思います。
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