見ずに信じることの幸い

イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」ヨハネ20:29

 きょうは、イエス様が「見ずに信じる者は幸いです」と仰った御言葉について考えてみましょう。

 イエス様が語られたこの御言葉には一体どんなメッセージが込められているのでしょうか。それは、トマスだけに語られた御言葉ではなく、、、マリヤ、ペテロやヨハネなどの弟子たちに語られた御言葉であると同時に、「あなた」や「わたし」にも語られている御言葉です。なぜなら、人はいつの時代にも「目に見えるものを信じる」傾向があるからです。逆に言えば、(人は)目で見ることが出来ないものを受け入れることが難しいものだということです。ところが、人の力では及ばない出来事が起こると、人は目には見えない神の力にすがる傾向があります。人とは(そのように)身勝手なものであることを主はご存知でした。私たちは、その身勝手さを認め、悔い改め、(神様を目で見ることが出来なかったとしても)見ないで信じる者でありたいと思います。

 見ずに信じるとは、イエス様が神であることを信じることです。主が復活されたことも、「あなた」や「わたし」のの罪の身代わりに十字架で死なれ、すべての罪を赦してくださったことも、主を信じる者に聖霊が与えられ、やがて、主が復活されたように「わたし」も復活させていただけると信じることなのです。また、主が「あなた」を生れる前から知っておられ、出会ってくださり、信仰を与え、責任をもってあなたの人生を担ってくださるお方であることを信じることなのです。

  「あなた」や「わたし」は、トマスたち、当時の弟子たちとは違って確かに復活の主をこの目で(直に)見たわけではありません。ですから、当時の弟子たちとは(この点においては)明らかに違います。しかし、共通するところもあります。そして、それこそ、イエス様が信仰者にとって最も大切なこととして「あなた」や「わたし」に伝えたいことなのです。それは、

①イエス様を救い主として信じるということと、

②主を信じる者は、主が復活されたように(やがて)復活の恵みにあずかるということです。

  とりわけ復活させていただける恵みは、当時の弟子も、今の私たちも(共通して)ともにこれから未来にかけて実現し、経験させていただける恵みです。イエス様の救いを信じるとは、、、「あなた」や「わたし」の人生に(すでに)神が介入されていることを信じることなのです。そして、必ず神はあなたを復活させてくださるお方であり、あなたの人生に責任をもってくださるお方であることを信じることでもあり、これこそ、主が「幸いだ」と言われた「見ずに信じる者」の「生き方」なのです。