神のものとして

信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。 そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していた。使徒2: 44,45

 みなさん、わたしたちの教会名・教団名になっている「ホーリネス(holiness)」とは、日本語では「聖化」とか「きよめ」という意味があります。ところで、「ホーリネス」は「2つの方向」から考えると分かりやすいと思います。

 まず第一に「ホーリネス」とは、神が私たち人間を(一方的な恵みによって)「聖化」し、「きよいもの」「神のもの」として下さったということです。神の一方的な恵みとは、すなわち、神の救いのご計画によって、キリストが「あなた」や「わたし」のために十字架で死んで下さり、すべての罪を消し去って下さった恵みのことです。聖書によれば、人は神によって愛されて造られたものです。しかし、人は造り主である神に背き、神から離れて(自分勝手に)生きるようになりました。神から離れて人が自分勝手に生きるようになることを「罪」といいますが、聖書によれば、罪の結果は「死」です。しかし、神は人を決して見捨てず、人の罪が帳消しにされ、赦されて救われて、再び神のものとされるよう、人類の救いのために「キリスト」をクリスマスに人間の世界に誕生させました。そして、神の一方的な救いの計画によって、キリストは人の罪を赦し帳消しにするために、(本来は人がその身に受けるべきはずの罰を)主が十字架で身代わりに受けて死んで下さったのです。ですから、キリストが「わたし」の罪のために身代わりに死んで下さったと信じるならば、信じる「あなた」は(主の身代わりの死ゆえに)すべての罪を赦され救われて、「神のもの」すなわち、神様から「きよい」と宣言していただけるのです。これこそ、神が私たちを聖化して下さる「ホーリネス」です。

 さて、第二に「ホーリネス」「聖化」「きよめ」のもう一つの大切な面を見てみましょう。それは、神の一方的な恵み・計らいに対して「応答する」という面です。自分がイエス様を十字架につけてしまったことに気づき悔い改めた者に、神の一方的な救いと恵みが与えられて「救われ」「聖化され」「神さまのもの」とされたことへの感謝と喜びにより、、、新たにキリストの弟子とされた人々は(みな)主キリストを礼拝し、主が自分に命をも差し出して下さったことを覚え、、、自分の持ちものさえも差し出して仲間と共有し、主にある交わりを大切にしました。それは、現在の私たちも同じですね。毎週主を礼拝し、キリストが自分に命を差し出して下さったことを覚え、感謝をもって「献金」し、自らを主にささげて「奉仕」し、これらを仲間と共有して主にある交わりを大切にする、、、(私たちも)同じです。「ホーリネス」には2つの面(方向)があり、これは車の両輪に例えることができます。片方だけでは車は前に進みません。同様に、神に救われた私たちがさらに成長するためには、ホーリネスの2つの面が必要なのです。

 どうでしょうか。あなたはイエス様を信じてこの両輪でいま走っているでしょうか? 「聖化」「きよめ」の2つの面が理解され、備えられ、バランスの取れた教会生活を送り、主に大いに祝福していただきましょう。