新しい契約に生きる

しかし、神は、それに欠けがあるとして、こう言われたのです。「主が、言われる。見よ、日が来る。わたしが、イスラエルの家やユダの家と新しい契約を結ぶ日が。ヘブル8:8

  コロナになって様々な試練を経験しましたが、コロナって(現在)第2種の扱いになっている関係で、今回(自分が)契約し加入していた(医療)保険が適用されて感謝でした。保険の契約内容って、どちらかというと苦手です。コロナの保険適用のことは(人から教えてもらわなければ)気が付きませんでした。しかし、聖書の神さま(イエスさま)は、あなたと「契約(約束)」したことを決してお忘れにならないお方なのです。

  きょう、聖書の中に「契約」という言葉があります。聖書において「契約」というと、神と民との「契約」、神とわたしとの「契約」を意味します。聖書には、神がイスラエルと交わした「契約」がいくつかあります。時代順に言えば、、、アブラハム契約、シナイ契約、、、ダビデ契約、そして、イエスさまによる「新しい契約」です。出エジプトのあと、シナイ山で神がイスラエルがと交わした「契約」=シナイ契約はアブラハム契約(神がイスラエルを祝福する契約)の更新であったわけですが、民はその契約を守ることができませんでした。神が(契約の条件として民に守るよう命じた)十戒を、、、民が守ることができなかったからです。なぜなら、十戒(律法)は人が努力して(完全に)守れるものではないからです。現在のわたしたちクリスチャンも同じですね。イエスさまが(聖書の中で)おっしゃっている命令(律法)を、、、わたしたちは(それを)完全に守ることなどできない罪人なのです。それでも、わたしたちクリスチャンが(最終的にはいつも)主の「みことば」=命令に従うことができるのは、イエスさまの十字架によって神がわたしの(すべての)罪を赦してくださり、しかも、神の御霊(聖霊)が(罪赦されている証拠として)(わたしの)内に住んで下さっているからに他なりません。モーセの時代、イスラエルの民は(神と)シナイ契約を結びましたが、神が命じた律法を守れませんでした。おそらく、わたしたちクリスチャンと違って、彼らは(守れなかったことによる)罪を(完全には)赦されていなかったからだと思うのです。彼らの罪は、毎回、神に動物の犠牲をささげることで(その都度)聖められましたが、完全な「赦し」とは言えませんでした。なぜなら、罪を犯すたびに犠牲をささげなければならなかったからです。でも、わたしたちクリスチャンは、(わたしたちのために)イエスさまが十字架で自らの命を投げ出し、自らの血を注いでくださり「救い」を成し遂げて下さいました。その「救い」にあずかっていますので、あなたやわたしは完全な救いをいただいているのです。

  12節に、(主は)「罪を思い出さない」とあります。人は認知症を患うと、過去の嫌な記憶すらも(全く)思い出せなくなるかも知れません。それも祝福ですが、、、イエスさまは(あなたの罪が赦されるために)自ら十字架に死んで下さったお方なので、あなたの罪を一切問わず、思い出さないお方なのです。感謝します。