ですから、弱った手と衰えたひざとを、まっすぐにしなさい。また、あなたがたの足のためには、まっすぐな道を作りなさい。 ヘブル12: 12,13
信仰生活はよくマラソンのレースにたとえられますが、その長いレースの途中には苦しいことがあり、最後まで走り続けることは楽ではありません。この手紙の読み手であったユダヤ人クリスチャンたちも、迫害や困難の中で(霊的に)疲れが出ていました。そこで、この手紙の著者はそんな彼らを励まし、だれも神の恵みから(こぼれ)落ちることがないようにと勧めるのです。どうすれば最後まで信仰のレースを走り抜くことができるのでしょうか。
必要な第一のことは、弱った手と衰えたひざを「まっすぐにしなさい」ということです。身体も歳を重ねてきますと、手やひざが伸びにくくなりますね。私たちは適度な運動が必要です。ユダヤ人クリスチャンたちは何に疲れていたのですか。1つは「重荷と罪」とを捨てることができてなかったからです。重荷とは主の救いの恵みに信頼せず、何でも自分で解決しようして疲れてしまいました。また、主の十字架と復活によって(しっかりと)罪を解決していないことから来る「罪責感」によって疲れてしまいました。そのような彼らに必要だったのは、弱った手と衰えたひざを「まっすぐにする」ことでした。最近は大きな手術をしても、術後すぐに医師から「歩きましょう」と勧められます。なぜなら、弱った身体をそのままにしておくと回復が遅くなるからです。それは信仰にも言えることです。私たちの心が疲れ果ててもう立ち上がれないと思うとき、弱った手と衰えたひざをまっすぐにする必要があるのです。では、どうすればよいのでしょうか。ルカ13:13に、18年間、腰が曲がったままの女性が癒される話が出てきます。彼女はどのようにして腰が伸びたのですか?それは、イエスさまのところへ行き、主のみことばに従った、ただそれだけです。私たちが主のもとに行くなら、主はあなたの霊的に弱ったところを癒し、強めてくださるのです。
第二の必要なことは「まっすぐな道を作る」ことです。まっすぐな道を作るとは、「あなたが通る道を整える」ということです。そして、「あなたが通る道」とは、、、「信仰」のことです。あなたがたの足を弱らせないためには「信仰」を整えて、まっすぐに歩みなさい、ということです。そのためには、「信仰」という長いレースをする上で障害となるもの、つまずきとなるものを取り除く必要があります。私たちが神さまから離れて曲がりくねった道を遠回りに歩むとき、そこには必ず、あなたがなかなか手放すことができない(こだわりや)執着があるのではないでしょうか。これがないと困る、あれがないと困るとですね、あなたは手放すことができないものによって縛られ続けます。あなたは、こはれまで(こだわり)執着してきたものがあるでしょうか。あなたの(その)こだわりが、、、あなたの信仰の成長を妨げ、遅らせてきたことを知るべきです。なぜならば、あなたはいつも後ろ髪を引かれて、なかなか前進できなかったからです。わたしたちは、ぜひ信仰をもって「まっすぐに」神さまを見上げて歩みたいと思います。
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