信仰によって生きる

そういうわけで、信仰による人々が、信仰の人アブラハムとともに、祝福を受けるのです。 ガラテヤ人への手紙3:9

 みなさん、ガラテヤの異邦人クリスチャンたちは(本物のクリスチャンになりたいと願って)、パウロの導きによって救われた後、(いいクリスチャンをめざして)、、、「行ない」を重んじようと努力しました。


 そのような「よい行い」をすることで、彼らは(自分が)本当にイエス様によって救われていることを確認したかったんでしょうね。私たちで言えば、がんばって聖書を読もうと努力したり、がんばって奉仕しょうとしたり、もっと祈らなきゃと考えたり、もっと捧げなければと考えたりすることすべてを、、、彼らはがんばってやろうとしたんですね。私たちも、がんばって聖書を読んだり、奉仕したりすると、クリスチャンとしての「達成感」を感じませんか? 目に見える努力をして達成することで、信仰者としての自分に満足しませんか?しかし、パウロは警告するんですね。人は「行ない」によっては救われないですよ、、、「主を信じる信仰によって救われる」のだと。ですから、、、私たちも、イエス様の救い・喜びがわかると、誰かに言われなくても、聖書を読みたくなるし、奉仕もしたくなり、祈りを覚えるし、主に喜んで捧げる者になるのです。


 ユダヤ系クリスチャンたちは律法を守ることで人は(完全に)救われていくと言っているけれども、、、そんなことはありません。なぜなら、人には律法を完全に守ることなはできないからです。律法を完全に守ることが出来るお方はイエス・キリストだけです。そのキリストが、、、守ることができなかった「あなた」の罪のために、十字架で身代わりに罰を受けて死んで下さいました。主が十字架で流された血潮によって、、、「あなた」も「わたし」も罪が赦され、救われていることを(私たちは)信じるだけでいい、、、、救われるために何かをしなければならないことはないのです。私たちはキリストが(わたしの罪のために)死なれたことを信じて救われます。これは、アブラハムが神の約束を信じて救われたのと同じです。むかし、異邦人であるアブラハムが(神を信じる)信仰によって救われて「義」とされた、、、、 このアブラハムの救い(の祝福)が、、、キリストを通して、今、私たちの救いに「つながっている」のです。それが神の救いのご計画なのです。


 私たちは「主を信じて」救われました。とても大切なことですが、、、同様に(私たちにとって)大切なことは、、、与えられた「信仰に生きる」ことですね。私たちが信仰に生きるために必要なことはなんでしょうか。それは、ただイエス様を信じ、主が仰る御言葉に耳を傾けて聞くことであり、聞き続けることなんですね。そのようにして、私たちは(いつも)信仰によって生きる者でありたいと願います。