そして、あなたがたは子であるゆえに、神は「アバ、父。」と呼ぶ、御子の御霊を、私たちの心に遣わしてくださいました。ですから、あなたがたはもはや奴隷ではなく、子です。子ならば、神による相続人です。ガラテヤ4: 6,7
3章の終わりで、パウロは「もし、あなたがたがキリストのものとされたならば、、、約束の相続人です」と語りました。すなわち、キリストがあなたの身代わりに罪を負って十字架で死なれたことにより、あなたの罪が(神の前に)完全に赦されたことを(あなたが)信じるならば、「あなたは神の相続人なのだ」とパウロは語りました。神の相続人とは、天国に入れていただける約束を確信している人のことです。 さあ、あなたはキリストの救いを信じて「神の相続人」とされているでしょうか。
あなたが「神の相続人」であるかどうか、知る方法があります。それは、あなたがキリストによって救われてことを「喜び」として感じているならば「神の相続人」です。しかし、キリストの救いを信じているけれども、救いの喜びがまだよく分からないならば、その人は(まだ)神の相続人ではありません。パウロが4章1,2節で語っているように、、、まだ父の全財産を譲り受けていない(信仰的に)幼い状態なのです。しかし、安心してください。あなたの目がしっかりと開かれて、キリストがあなたの罪のために身代わりに死んでくださったおかげで、あなたは罪が赦されて「神の子ども」とされたことが分かるならば、、、あなたは父の全財産を譲り受けて「神の相続人」となるからです。
わたしたちクリスチャンは、どうすれば「神の相続人」としての自覚を持てるようになるのでしょうか。それは、神の前にしっかりと罪を告白し、その告白した自分の罪を、すでに主が十字架ですべて赦してくださっているということを(感謝して)受け取るだけなのです。聖書には、12弟子の一人であるペテロが人々の前で「イエスなど知らない」と三度も否定した話が記録されています。弟子であるペテロにとって、イエス様を「知らない」と否定したことは大変に「恥ずかしい行為」であったはずです。しかし、その恥ずかしい出来事も聖書に残されているということは、ペテロが自分の恥を誰かに告白したということに他なりません。なぜペテロは自分が隠しておきたい恥ずかしい出来事を他人に告白できたのでしょうか。おそらく、イエス様が十字架を通してペテロの(すべての)罪を赦し、失敗や恥の思いを消し去ってくださったことが分かったからだと思います。だから、ペテロは自分の恥を公にすることが出来たのです。一方、同じく主を裏切ったイスカリオテ・ユダは、自分の罪を悔いたのですが、自分の罪を自分で裁いてしまいました。ユダはイエス様の赦しと救いを受け取ることが出来ませんでした。
あなたは、主があなたの罪のために身代わりに死なれたことを信じ、主の救いを感謝してしっかり受け取っているでしょうか。もしも、主の十字架を感謝して、主の救いを心から喜ぶことができるならば、あなたは間違いなく「神の相続人」です。
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