星に導かれて

すると、見よ、東方で見た星が彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、その上にとどまった。その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。マタイ2:9,10


  きょうは、東方の博士たちの姿を通して2つのことを教えられたいと思います。第一に、神は「熱心に求める者」にはお与えになるお方であるということです。博士たちは、ユダヤから見て東方から(はるばる)やって来たこと、、、そして、彼らは星の動きを調べることを仕事としていた人たちであることがわかります。バビロニヤの後に起こったペルシャでは「星の動き」についての高度な知識があったことがわかっています。日本でも紀元7~8世紀につくられたと言われている「キトラ古墳」から北極星を中心に星が動いている様子が描かれた壁画が見つかっていますが、古代ペルシャでも同じ壁画が見つかっており、関係がありそうです。博士たちは、現在のイラク辺りからやって来たのでしょうか。彼らはおそらく何世代にもわたってユダヤの国で「救世主が現れるのを知らせる」星の出現を調べていたのでしょうか。彼らはユダヤの国で救世主(メシヤ)が生まれることを聞いて知っていたんですね。彼らにそのことを教えたのは昔(祖国)イスラエルを追われた神の民(イスラエル)であったのでしょうか。そして、とうとう、ある日のこと、彼らは救世主キリストの出現を知らせる星が出現したことに気づかされます。そして、どうしても救世主をその目で見て拝もうと、ユダヤの国へと出発するわけです。


  みなさん、仮にイラク(バグダッド)辺りから出発してユダヤに出かけたとすると、ざっと500kmほどの道のりです。今でこそ、交通が発達し、その日のうちに到着できますが、おそらく彼らはラクダに乗って何日もかけて旅をしたことでしょう。ある意味、命懸けの旅でもあります。良きサマリヤ人のたとえ話ではありませんが、途中で強盗に襲われる危険だってあったでしょう。でも、彼らは出かけたのです。その熱心な求めに対して、神は祝福されました。彼らが心から願っていたキリストに出会えるよう導かれました。わたしたちも、イエスさまを礼拝するために、このように熱心でありたいと思います。あなたはイエスさまを求め、イエスさまと深く交わるために礼拝に来ているでしょうか。わたしたちも(東方の博士たちのように)イエスさまを(喜びをもって)礼拝したいと思います。


  二番目に、熱心に求めた(博士たちを)イエスさまのところに導いたのは「神さま」だということです。聖書では博士たちをキリストのもとに導いたのが「星」であることがわかりますが、、、、実は、この星を出現させ、動かしておられたのは(明らかに)神さまです。「イエス様を見たい」、「何としても主に会いたい」と願い祈っていると、神は(その人を)イエスさまのもとに導いてくださるのです。神がイエスさまのもとに博士たちを導かれたとき、彼らは(その神の導きに)只々従い、主を「喜び」としました。同様に、わたしたちも人生において主の導きを期待し、従っていきたいと思います。神は博士たちを(ヘロデ王の悪企みから守られたように)、あなたが人生を主にお委ねするとき、主は責任を持って導いて下さるから安心なのです。