あなたがたがみこころを行うことができるために、すべての良いことについて、あなたがたを完全な者としてくださいますように。ヘブル13:21
きょうは、この手紙の終わりに当たって、18節で著者が「私たちのために祈ってください」と語り、さらに、19節では「もっと祈ってくださるよう特にお願いします」と語っているところに注目しながら、「完全な者としてくださるお方」についてお話したいと思います。
13章では、(迫害を受けて苦しむ)ユダヤ人クリスチャンたちが(その)信仰からこぼれ落ちないよう励ましのアドバイスが語られてきています。少し振り返りますと、そのアドバイスとは、1)兄弟愛をもっていること(すなわち、主にあって互いに赦し合い、敬う関係をつくること) 2)結婚の尊さをわきまえること 3)金銭を愛する生活をしないこと 4)様々な異なった教えに迷わされないこと(そのために、教会の指導者の信仰にならうこと) 5)わたしのために罪を負い、主が(身代わりに)死んで下さったことによって「神のもの」とされたことを覚えること 6)それだからこそ、感謝と喜びをもって(主に)賛美のいけにえ(わたしのすべて)をささげること等を、著者が(アドバイスとして)語ってきたわけですが、18節、19節においては、その著者が「私たちのために祈ってください」「もっと祈ってくださるようお願いします」と、、、(著者が励まそうとしている)ユダヤ人クリスチャンたちに(逆に)「祈ってください」と要請し、求めているのはなぜでしょうか。
それは、おそらく、(主が弟子たちに語られた戒めの全てを))完全に果たすなどは無理だからです。主が言われた戒めに聴き従うことは(もちろん)大切なことですが、、、私たち人間には(主の戒めを)完全に守ることはできません。人には「欠け」「弱さ」があるからです。だからこそ、主は(私たちが守ろうとしても守りきれない)欠けや弱さから来る「罪」のために、その罪を赦すために十字架で死んで下さったのです。
私たちは(何をするにも)不完全な面があります。失敗も多いですし、欠けや弱さがあるわけです。しかし、私たちの欠けや弱さから来る「失敗」「罪」のために(身代わりに)死なれたイエス様を「父なる神」がよみがえらせたように、、、神はあなたも(同じように)主キリストを通してよみがえらせてくださるんですね、、、すなわち、できないと思えるようなことでも、時間をかけながら出来る者へ変えて下さる、、、それが神様の約束なのです。そのような不完全な者とは、ユダヤ人クリスチャンだけではありません。現在の私たちクリスチャンにも同じことが言えるでしょう。そして、ヘブル人への手紙を書いた著者自身も「わたしのために祈ってください」と要請しています。
教会である私たちには「祈り」が必要ですね。人々が救われるようにと祈ることはもちろん、私たちには「欠け」や「弱さ」があるわけですから、互いを励ますための「祈り」が必要なのです。 「わたしのために祈ってください」と言い合える教会を常に目指したいと思います。
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