イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。ヨハネ14:6
ここでキリストは、ご自分のことを、3通りの言葉で自己紹介しておられます。
第一にキリストは、私たちを神にいたらせるための、唯一の「道」なのです。ある方が道に迷った昔話をしてくれました。その方は静岡市にお住まいの方でしたが、用事があり、福島の教会に車で行かれたそうです。そして、用事が済み、教会を出て、もと来た道を帰ることにしていたのですが、道に迷ってしまったというのです。ナビがない時代です。途方にくれていたそのとき、一台のトラックが通り過ぎていきました。ふと、そのトラックを見ると、なんと、静岡ナンバーだったんですね。このトラックの後をついて行ったら静岡まで戻ることができるのでは、と信じたこの方は、ただただ、ひたすらに、後ろをついて行ったんです。そして、無事静岡に帰ることのができたそうです。その方の前を走って行ったトラックこそ、実に救い主イエス様のようです。キリストは、[天国]というナンバープレートを示して、「わたしについてきなさい、わたしがあなたを魂のふるさとに連れ帰ってあげよう」と招いてくださるお方です。
第二に、この方は、「真理」そのものなるお方です。 真理とは、偽り、過ち、間違いが全くないことを指します。私たちの中で、嘘を言ったことがない者はいないと思います。それは、わたしたちが人だからです。人は嘘偽りを覆い隠そうとする罪人です。だからこそ、人は、嘘偽り・過ち・間違いがない「真理」を探究したくなるのです。そして、真理を求めれば求めるほどに、自分自身の中に偽りがあることが明らかになり、人は悩むのです。しかし、キリストは、真理が何かを悩んだことは一度もありません。なぜなら、イエス様ご自身が神であり、真理そのものだからです。また、イエス様はご自分の罪に悩んだことは一回もありません。何一つ罪が無かったからです。ただ、キリストは、自分以外の人の罪のために悩んでくださったのです。人が神様のようになったら一体どうなるでしょう。まさしく、自分勝手な、傲慢な振る舞いをすることでしょう。しかし、キリストは神であられるのに、実に謙遜で、温かく、赦しに富む方でした。まさにこの方は、人となった神なのです。
第三に、キリストは、神の「いのち」そのものです。わたしたちは、罪によって、知らず知らずに醜い姿に変えられてしまう者です。ルカ15章の「放蕩息子」を読むと、神から離れた醜い人間の有様や、罪の結果として、滅びに向かう成れの果ての姿が描かれています。しかし、父親である神は、父のもとに帰って来た息子を無条件で抱きしめました。すなわち、キリストは、私たちが罪によって、どんなに醜い姿に変わり果てていたとしても、人が神のかたちに似せて造られたことを決して忘れないお方です。そして罪にまみれた私を、すっかり聖めつくして、受け入れてくださる方なのです。どうぞあなたも、この、道にして、真理にして、いのちなるキリストを信じてください。そうするならば、あなたはキリストに会って、神の子どもとして、父のみもとに帰ることができます。
0コメント