わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。 主の御告げ それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。 エレミヤ29:11
日本人の多くの人たちは、人は偶然に生まれるものだ、と考えているようです。もしも、今までの人生がすべて偶然であるならば、未来もまた偶然の連続です。でも、人生に意味があるならば、現在も、そして未来も、すべて意味があることになります。そして、人生に意味があるならば、その人生に意味を与える存在が必要になりますね。聖書では、人生に意味付けされる存在のことを創造主=神と呼びます。その神が、私たちの人生を幸いなものにしようと導いてくださっているんですね。
ヨハネの福音書5章には、38年間病に伏している人の話が記されています。この人は、べテスダの池のほとりで暮らし、主の使いがきて、池の水を動かすとき最初に池に飛び込む者が癒されるという「迷信」にすがりながら待っていたわけです。38年間病から解放されないというのは大変なことです。 わたしたちの周りにも長年闘病されている方がおられますが、その方々にどのようにお声掛けしてよいのか分かりません。でも、一つ言えることは、その病にも何か意味があるということです。たまたま運が悪くて病気にかかったのではありません。人生に起こることの意味は、わたしたちにはその時わからないのですが、人生を振り返る時、最悪の出来事に思えたことが、後々、大きな意味を持っていたことがわかることがあります。それは、わたしたちの人生のすべてを希望をもって導いてくださる神がおられるからなのです。
きょうの聖書箇所で、「わたし」と言っておられる方は神です。神はあなたに平安を与える計画があると仰います。そして、その平安な場所にあなたを導こうとされているのです。この言葉の中に「あなたがたの将来と希望を与えるため」とありますが、将来とは、近い将来のことではなく、わたしたちがこの地上を去った後の、すなわち、天国での神と交わるときのことを指す言葉です。わたしたちの人生は長いようで、実はあっという間に過ぎ去るものなのです。しかし、神は、あなたの人生の今から後に、平安と希望を与える計画を持っておられると仰います。それは、イエス・キリストの救いにあずかって、罪赦され、主イエス様との永遠の交わりが与えられる約束であり計画なのです。
さて38年間病に伏していたこの人のもとに、イエス様が来られました。そして、「よくなりたいか。」と訊かれました。しかし、この人は「よくなりたいです」とは言えなかったのです。なぜなら、自分の人生にもはや希望を持てなかったからです。しかし、イエス様は言われました。 「床をあげて歩きなさい。」 彼はイエス様の力に満ちたその言葉を信じようと思いました。そして、希望を持ち、立ち上がったのです。新しい人生の一歩を踏み出したのです。私たちの人生には意味がよくわからない辛いこと、絶望に思えることがあります。でも、それらに意味がないのではありません。そのことを用いながら、神は私たちに、今から後の人生に平安を与えようとされているのです。あなたもイエス様に信頼と希望をおいてみませんか。
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