「まことに、まことに、あなたがたに告げます。信じる者は永遠のいのちを持ちます。…わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。」ヨハネ6: 47,54
ここでイエス・キリストはキリストを信じるとは何なのかということを分かりやすく説明するために飲食をたとえに用いられました。キリストを信じるとはキリストご自身を飲み食いすることだと言うのです。キリストの肉を食べキリストの血を飲むことだって言うんですね。非常に生々しい表現です。しかし、ここに命は何によって生きるのか、という「本質」が解き明かされていると思うのです。ここで、キリストは私たちの食べ物飲み物になると仰っているんですね。
ところで私たちは牛や羊をそのまま頭からかぶりつく人はいません。私たちは調理してこの命あるものたちを食べています。そして、調理される前には、これらの生き物はまず屠殺され、皮をはがされ、肉をばらされ、原形をとどめない形にまでされて私たちの前に食物として並ぶわけです。私たちはいわば他の命を食べて自分の命をつないでいるのです。何かを食べるとは、そのものの命を食べていることに他なりません。この命を食べることによって私たちの肉体の空腹は満たされ、渇きは癒されていくのです。
それと同じように、キリストはまず捕らえられ、裸にされ、鞭打たれ、そして、十字架の上で釘付けにされ、自らの体重によって肉が裂け、槍でわき腹を刺し通され、血を流して死んでくださいました。あのイエス・キリストの十字架刑は私たちの霊的な空腹を完全に満たし、心を満たし、私たちに永遠の命を与えるために、神様が提供してくださった食事なのだというのです。一体キリストは私たちの心の何をどのように満たしてくれるというのでしょうか。
第一に、「罪に悩む心」を平安で満たしてくれます。わたしたちは過去を変えることはできません。犯してしまった罪は「赦していただく」よりほかにないのです。しかし、神は私たちに唯一「赦される」方法を示してくださいました。それは、あなたに代わってキリストに罪の償いをさせるという方法なのです。キリストはあなたの代わりに十字架の上で罪の刑罰をすべてその身に受けてくださいました。だから、キリストを神として信じるあなたの罪は完全に赦されているのです。
第二に、「死を恐れる心」を希望で満たしてくれます。なぜなら、キリストは十字架の上で死んだ後、三日目に復活し、死に勝利してくださったからです。そして、そのことがキリストを信じるあなたにも成就するのです。わたしたちは死んで肉体は滅びても霊と魂は天国に行きます。そして、キリストが再臨される時には肉体も永遠に「朽ちないもの」によみがえらせていただくことが出来ます。これは口約束ではありません。キリストはその前ぶれとして肉体を持って復活されたのです。そして、疑い深い弟子たちが納得するまで彼らの前に姿を現わし、体をさわらせ、励ましと確信を与えて行かれたのです。 どうぞあなたにも、キリストをゴクンと飲み込んで信じ受け入れていただきたいと願います。
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