キリストの愛を土台にして

キリストは私たちのために、ご自分のいのちを捨ててくださいました。それによって私たちに愛が分かったのです。ですから、私たちも兄弟のために、いのちを捨てるべきです。

Iヨハネ3:16

 みなさんは、曳屋(ひきや)という言葉を聞いたことがありますか。曳屋とは建築物をそのままの状態で移動する建築工法です。青森県の弘前城は石垣修復のために、この曳屋の方法で天守閣のみを動かし、石垣を修復し、また戻す工事をしているそうですが、これにかける期間が何と23年。平成20年から取り組み始め、令和13年に完了予定だそうです。さて、わたしたちはイエス様の福音をお伝えするとき、ご年配の方たちからこう言われることがあります。 「聖書の話を聞くと、よく分かるし、これは本当だと思うし、いい話だと思う。でも、もう年を取りすぎてしまって、新しく人生を始めるなんて今更無理だよ。」 でも、弘前城の石垣修復の話を用いるならば、このように伝えていけばよいのです。 「クリスチャンになる、すなわち、イエス様をキリストと信じるということは、これまであなたが歩んで来た人生、すなわち天守閣を壊すことではありません。キリストを信じる新しい人生というのは、今までの人生をリセットする事ではありません。それは土台修復工事、土台入れ替え工事なんです。このままでは崩落の危険が高いので、あなたのこれまでの人生という天守閣を、イエス・キリストという決して崩れない土台に移しかえてみませんか。」ということなんです。

 キリストは私たちのために人生を捧げてくださいました。すなわち、時間と労力のすべてを、私たちのために捧げ、あなたの人生が崩落しないように、人生の土台をキリストの愛に移す取組みをしてくださっているのです。

私たちの人生が崩落する時とはどんな時でしょう。何かに失敗した時ではありません。人生崩落の危機は愛を失った時、愛が分からなくなった時ではないでしょうか。 受験に失敗しても、自分を愛してくれている人がいたら、やり直そうと思えます。就職に失敗しても、また失業しても、また自分で何もできず介護される必要が出て来ても、自分の味方、自分を大切にして愛してくれている人がいたら、人は挑戦する思いが出てくるのです。でも、自分を愛してくれる人はいない、愛していた人に裏切られた、誰も自分の味方はいない、自分を大切にしている人はいないというとき、私たちは人生に絶望するのではありませんか。 人生崩落の危機に瀕(ひん)している方に聞いていただきたいことがあります。それは、キリストはあなたのために「いのち」を捧げ、あなたの味方であり、いつでも、あなたを大切にしている方だということです。

 キリストは私たちのために、ご自分のいのちを捧げてくださいました。それによって、私たちに愛が分かったと、ヨハネは語りました。愛は一方が自分を捧げるだけでは味わえません。互いに愛を与え、相手の受け取ったときに、両者とも喜びを分ち合うものです。キリストはあなたに自分を捧げ、今もあなたを愛しておられます。あなたがこのキリストの愛を受け取った時、あなたにも、またキリストにも喜びが湧きあがるのです。どうか、このキリストの愛をお知りくださり、受け取ってください。