そのとき、イエスはこう言われた。「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」彼らはイエスの衣を分けるために、くじを引いた。ルカ23:34
きょうは、イエス様が十字架で語られた言葉について3つのことをご紹介します。
第一に、キリストは最悪の罪に対して、最高の恵みで応えてくださる救い主です。十字架に引かれていくイエス・キリストはずっと無言です。しかし、聖書は「そのとき、イエスは言われた。」と語ります。 「そのとき」とはどのときですか。まさにイエスの身体に三本の釘が打ち込まれ、十字架にはりつけにされた、まさに「そのとき」です。 神が送った救い主に対し、人間が最悪のやり方でキリストを拒否した、まさに「そのとき」、キリストの愛は爆発しました。人となられた神、イエス・キリストが来られた時、彼を拒み、あざけり、罵り、そして十字架につけた、まさにその時、キリストは怒りを爆発させましたか? 何とそうではなく、愛を爆発させて、とりなしの祈りを捧げてくださいました。こんなことは、神以外にはありえないことです。
第二に、キリストは正義の神に対して、罪人の側に立った祈りを捧げられたのです。 「父よ。彼らをお赦しください。」と罪人の側に立った祈りをしてくださいました。 実は、この「お赦しください」という言葉には「押しとどめてください」という意味もあるのです。つまり、キリストは最悪の罪に対する神の正義のさばきが、今にも下ろうとするのを、押しとどめる祈りを捧げておられるのです。 いったい神の怒りはどのようにして、押しとどめられるのでしょうか。それは、別の受け皿を提供することによってです。キリストは罪人の上に下るはずの神の怒りをご自分の上に降り下ろしてもらうことで、神の怒りが人には下らぬよう祈ってくださったのです。ところで「彼らをお赦しください。」の「彼ら」とは誰のことを指しているのでしょうか。 第一にキリストの十字架死刑を望んだ、そしてそれを仕組んだ、ユダヤ人の指導者たちのことです。 第二に、キリストを実際に十字架にはりつけているローマ人の兵隊たちのことです。そして、第三に罪を行っている私たち自身のためなのです。
第三に、キリストはこの「とりなしの祈り」を、今日もあなたやわたしのために続けてくださるお方です。 「そのとき、イエスはこう言われた。」の「言われた」という言葉は、「(今も)言い続ける」という意味があります。キリストは十字架の上で一回きり「父よ。お赦しください。」と祈られたのではありません。 十字架にかかる前から、途切れることなく祈り続けてくださるお方です。殴られる時も鞭打たれる時も、はずかしめられる時も、身体に釘を打ち込まれる時も、ずっと「彼らをお赦しください」と祈り続けてくださいました。わたしたちはどうでしょうか。ずっと執り成しの祈りを続けられるものでしょうか。わたしたちはイエス様ではないので、せめて、一つの「とりなし」について考えてみましょう。わたしたちは、たった一つのことに対してですが、祈り続けることができるでしょうか。ひとつでもいい。とりなし、祈り続ける者でありたいと思います。
0コメント