さらに豊かにされる信仰

だれでも持っている者は、与えられて豊かになり、持たない者は、持っているものまでも取り上げられるのです。マタイ25: 29

 きょうは、イエス様による「財産を預けられた(しもべ))」の例え話から、天国に入る者について語っていますので、ご紹介したいと思います。

 ところで、わたしは小学生の頃、毛筆で字を書くのが得意でした。幼少から書道を習っていたからだと思います。しかし、振り返ると、大変に後悔する出来事があります。学校で国語(書写)の時間になると、友人たちがやってきて、「手本を書いてくれよ」と何度も言ってきたことがあり、あるとき、それが嫌になって、わざと自分から「下手な字」を書くようにしたことがありました。後悔先に立たず、ですが、下手な字を書くようになると、本当に字が下手になるんですね。今、大人になって、そのことを痛感しています。「字が上手だね」と言われたら、「ありがとう」と言って、もっと字を書く練習をすれば良かったと思います。

 さて、本日の例え話の中で、イエス様は「3人のしもべ」のことを話しています。旅に出かける主人(神様)が、しもべたちにその財産を預けていくお話です。一人には5タラント、もう一人には2タラント、そして、残る一人には1タラントです。「タラント」は当時のローマの通貨単位で、6千デナリの金額でした。1デナリは、一日の労賃に当たるもので、今で言えば、1万円近くでしょうか。ですから、「しもべ」たちは相当な金額を主人から託されていったことになります。しかし、問題が起こりました。5タラントと2タラントを預けられた「しもべ」たちは、主人が旅に出た後、商いをして預けられていた財産を倍に増やしていくのですが、1タラントを預けられた「しもべ」は、預けられたお金を地中に埋めてしまいました。そして、主人が戻って来た時、財産を地に埋めて活用しなかったことを責められたのです。

 イエス様は、神様のことを、この話の中で「主人」にたとえています。そして、「しもべ」たちとは「わたし」や「あなた」のことです。神は、わたしたち(ひとり一人に)タラントを託されています。そして、神から託されたタラントを(わたしたちが)活用することを、神は期待し、喜ばれるのです。さて、イエス様がたとえ話の中で示している「タラント」とは、いったい何のことを指しているでしょうか。わたしたちが何の努力もしていないのに、神様から一方的に与えられ託されているものを想像してください。それは、命や身体、そして、寿命もそうですね。家族や親せき、友人、学校、職場などの様々な環境も、わたしたちは神様から一方的に与えられていることに気づくのです。財産や能力、才能もそうですね。ひと言で言えば、「神からの恵み」です。あなたは、神様からいただいていて、また託されている「恵み」に感謝しているでしょうか。そして、聖書は語ります。

 「神からの恵み」の最たるものはイエス・キリストです。なぜなら、キリストは、あなたの罪のために身代わりに十字架で死なれ、復活し、(あなたのために)すでに救いを完了してくださっているからです。どうぞ、キリストを信じてください。そして、主の恵みがさらに豊かなものになりますように。