成し遂げられる神

次のような主のことばが私にあった。「エレミヤ。あなたは何を見ているのか。」そこで私は言った。「アーモンドの枝を見ています。」 すると主は私に仰せられた。「よく見たものだ。わたしのことばを実現しようと、わたしは見張っているからだ。」 エレミヤ1: 11~12

 新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。新春の花と言えば「梅」かと思いますが、聖書の舞台であるイスラエルにも、日本の梅の花のように春の訪れを一番に知らせる花があります。それは、アーモンド(あめんどう)の花です。アーモンドは、ヘブル語で「シャーケード」と発音し、「目覚める」という意味があります。桃の花に似た薄ピンクの可愛らしい花をつけます。

 さて、聖書には、このアーモンドを記している箇所があります。その一つが、エレミヤ書一章の「預言者エレミヤの召命」場面です。エレミヤは、祭司の家系に生まれますが、主の「わたしはあなたを聖別し/諸国民の預言者として立てた」(エレミヤ1:5)という招きに対して、 「ああ、わが主なる神よ/わたしは語る言葉を知りません。わたしは若者にすぎませんから」(エレミヤ1:6)と自らの若さや恐れを理由に預言者となることを躊躇します。そのような躊躇するエレミヤに対し、主から与えられた幻が、「アーモンド(シャーケード)の枝」(エレミヤ1:11)でした。 主は、エレミヤにアーモンドの幻の解きあかしをします。主は、「わたしは、わたしの言葉を成し遂げようと見張っている(ショーケード)」と語られるのです。主は、見張られる神、私たちと共にいて導かれる神なのです。エレミヤは、アーモンドの花を幻に示されて、季節が着実に移り変わるように、「主の計画が必ず成し遂げられる」こと、そして、さらに背後にあって、「言葉を成し遂げよう」と常に見張られ導かれるお方の存在を、この幻の中に感じ取りました。

 ところで、アーモンドの木は、アロンの杖としても聖書の中に登場します。アロンは、神の召命を受けてエジプトの地から約束の地へ向かう弟モーセに代わり、その雄弁さを持って、イスラエルとエジプトの王に対して語る代弁者となりました。その時に、彼が持っていたのがアーモンドの杖でした。その杖は、エジプトの王の前では蛇となり、呪法師たちの杖を飲み込み、ナイル川に差し伸すと、川の水がたちまち血に変り、同じようにして蛙とぶよの災いをもたらすと業を行います。もちろん「アーモンドの杖」自体に、そのような力はありません。その背後にあって、主が働かれておられるからです。主は、イスラエルの民をエジプトの地から約束の地へと導かれようと、その約束を成し遂げようと働かれておられたのです。イスラエルの民に遣わされたモーセやアロンの背後にはいつも神が共におられました。 主はエレミヤに、「彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて、必ず救い出す」と言われます。主は、成し遂げられる神であります。この神が、聖霊様として、今もわたしたちと共におられ、導き、わたしたちの祈りをも執り成して、その背後で働かれるお方なのです。

 今年もその「成し遂げられる神」に大いに期待致しましょう。