イエスはこのことを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行ない、ご自分の栄光を現わされた。それで、弟子たちはイエスを信じた。ヨハネ2:11
きょうは、ここから2つのポイントでお話しましょう。
第一に、イエス様はカナの婚礼での奇跡によって、「弟子たちに信仰を与えられた」ということです。ヨハネは、「水をぶどう酒に変えた」奇跡を、あえて「最初のしるし」と記しました。「しるし」とは何でしょうか。ヨハネの福音書20章終わりには、イエス様が「しるし」を行われたのは、「人々がイエス様こそ神の子キリストであると信じるためである」と記されています。そして、本日の箇所11節には、イエス様は、「水をぶどう酒に変えられた」奇跡を「最初のしるし」としてガリラヤのカナで行ない、「ご自分の栄光を現された」とあります。 イエス様は、この奇跡でもって、ご自身が神の子であることを現わされました。イエス様によって婚礼が祝福され、ぶどう酒が途中でなくならないようにと愛で満たしてくださる「神の不思議」を目の当たりにした弟子たちが、「イエス様こそは救い主です、わが喜びです」と、イエス様を信じる出来事になりました。これが「しるし」ですね。すなわち、イエス様が奇跡を通して弟子たちに「信仰」を与えられた出来事が「しるし」なのです。
わたしたちはどうでしょうか。わたしたちクリスチャンは、イエス様がなされる「奇跡」を見るから主を信じるのではありません。もしも、そうだとしたら、イエス様の奇跡が見えなくなれば、イエス様を信じなくなるからです。事実、イエス様を十字架につけたユダヤ人たちは、最初、イエス様の力と奇跡を期待しました。しかし、捕らえられたイエス様が力ある業をなされなかったことによって、イエス様を裏切って信じない者になりました。これは「信仰」ではありませんね。イエス様を信じる「信仰」とは、順風のときも、逆風の時も、どんなときにも、イエス様の救いを信じ、聖霊様が常に我が内におられると受け取ることが「信仰」ではないでしょうか。イエス様は「最初のしるし」として、神のご栄光を現されたわけですから、この奇跡によって、弟子たちはイエス様が神の子であるとの「信仰」が与えられたのです。
第二に、この奇跡が起こった瞬間を、「手伝いをしていた者たちが見て知っていた」ことです。手伝いの者たちは大変な奉仕であったと思います。80~120リットルの水がめ6つに水を汲み、縁いっぱいまで満たす奉仕を主から命じられ、井戸に行って水を汲み上げる奉仕は大変な労苦であったと思います。しかし、イエス様はその労をよく知っておられ、ねぎらって下さるお方ですね。 なぜなら、労していた者はイエス様の指示通りに誠実に働いたことによって、結果として、主の力ある業を間近で見たのですから。そして、主イエス様は、あなたが日常の中で主に仕え、労していることもよく知っておられます。そして、その労に必ず報いてくださるお方なのです。そして、イエス様は、あなたの尊い働きをも用いて神の業を起こして、それによって、人々に信仰が与えられるのです。
わたしたちも、イエス様に忠実に仕えて、神の業を間近に見る者でありたいと思います。
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