イエスは起き上がって、風をしかりつけ、湖に「黙れ、静まれ。」と言われた。すると風はやみ、大なぎになった。 イエスは彼らに言われた。「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです。」マルコ4: 39,40
イエス様と弟子たちが舟に乗って向こう岸に渡ろうとしたときのことです。舟が湖に出ると突風が起こりました。ガリラヤ湖は四方を山で囲まれて盆地のようになっているからでしょうか。朝晩の寒暖差によって時々そうした突風が起こりました。弟子たちの多くはガリラヤ湖の漁師で、この湖のことなら何でも知っているような人たちでした。ところが、今回の突風は今までにないもので、さすがの弟子たちも恐れるほどのものでした。
ところがイエス様はそんな嵐の中でも眠っておられました。弟子たちはイエス様をおこして、「先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか。」と泣きついて願いました。すると、イエス様は「黙れ、静まれ」と波をしかりつけ、嵐を静めました。しかし、このとき、弟子たちのだれもが、自分がイエス様に叱られたように感じたのでした。
わたしたちも同様ですね。自分の回りにも様々な課題や困難が吹き荒れているように感じます。わたしたちもイエス様による「黙れ、静まれ」の声に従う必要がないでしょうか。立ち騒ぐ心には「安息」が必要ですね。「安息」とはヘブル語で シャバットと言います。その意味は「止める、休む」です。神は、わたしたちに、七日間に一日、今あなたがしていることを「止めよ」と、「主の安息」を命じられました。この命令は、わたしたちのためです。人が何の休みも取らなければ疲れ果てて、過労で死んでしまうことがあるでしょう。聖書の中で、イエス様は様々なことを「やめよ」と言われました。例えば、物に執着するのを止めなさい。すなわち、「自分の宝を地上にたくわえるのは止めなさい」(マタイ6:19) 2「何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのは止めなさい」(マタイ6:31) 3「復讐は止めなさい」(マタイ5:39) 4「互いにつぶやくのは止めなさい」(ヨハネ6:43)
イエスが語られた言葉は、どれも聖書に根ざしています。イエス様による「黙れ、静まれ」という言葉は、明らかに、詩篇46:10から来ています。詩篇46篇は「神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。 それゆえ、われらは恐れない。たとい、地は変わり山々が海のまなかに移ろうとも。たとい、その水が立ち騒ぎ、あわだっても、その水かさが増して山々が揺れ動いても。」 という力強い言葉で始まっています。神を信じる者にも、「山々が海のまなかに移る」ような災害や、戦車に取り囲まれ、絶対絶命というような危機がおとずれることがあります。しかし、神は、山にも、海にも、軍隊にも命じられるのです。 「やめよ。」 そして、神の民に語られます。「やめよ。わたしこそ神であることを知れ。」 わたしたちは静まりの中で神の御声を聞き、神と出会います。神と出会った者は、さらに深い、主にある安息、平安を味わうのです。今このとき、自分の言葉を少なくし、神に多く語っていただきたいと思います。
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