また杯を取り、感謝をささげて後、こう言って彼らにお与えになった。「みな、この杯から飲みなさい。 これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。 マタイ26:27,28
きょうの箇所は、イエス様による「最後の晩餐」の場面です。最後の晩餐とは、すなわち「過越の食事」のことです。過越の食事では子羊の肉、種なしパン、苦菜を必ず食べます。ぶどう酒も飲まれます。過越の食事は、先祖イスラエルの民がエジプト時代に受けた奴隷の苦しみを思い、その苦しみから救い出してくださった神の御業をほめ称え感謝する記念の食事です。イエス様の最後の晩餐でも、種なしパンとぶどう酒が出されました。しかし、主はエジプトのことにはふれず、新しい意味を示しながら、パンとぶどう酒を与えられました。
イエス様は「種なしパン」を取って祝福し、裂いて弟子に与え、「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」と言われました。新約聖書において、イエス様は「パン種」には気を付けなさいと弟子たちによく話しました。「パン種」とはイースト菌のことで、パンに練りこむと発酵してパンが大きく膨らむわけですが、イエス様はこの練りこむと膨らむ「パン種」をしばしば「罪」にたとえられました。人の罪も、悔い改めをせずに「そのまま放っておく」と「パン種」のように「膨らんで」しまうからでしょう。イエス様は、「種なしパン」を裂いて弟子に与えられた時、「これは、わたしのからだです」と言われた意味が分かるでしょうか。イエス様は罪が一つもない神の御子だからです。そして、裂かれた「種なしパン」を弟子たちが食べるというのは、すなわち、イエス様を信じて受け入れることを意味するのです。
同様に、イエス様は弟子たちに「ぶどう酒」を与えられました。このぶどう酒は、十字架で裂かれて流されたイエス様の血潮を意味します。イエス様は、あなたやわたしの罪の身代わりに、罪ひとつない神の御子が十字架で神から罰を受けて死んでくださいました。イエス様が罪を引き受けて死なれたことにより、主を救い主として信じる「あなた」は全ての罪が赦されたのです。27節で、主が「あなた」のために流された血のことを、主は「契約の血」であると仰いました。なぜなら、主が身代わりに流された血潮は「あなた自身のためである」と信じる「あなた」は全きに罪赦されて神の子どもとされ、天国に入れていただける者となるからです。これは、イエス様とあなたとの「新しい契約」なのです。
主との「新しい契約」にあずかった「わたしたち」クリスチャンは、主の十字架のゆえに「罪なし」とされていることに喜びと感謝をもって常に歩みたいと思います。パウロがⅠコリント11章28節で、「ひとりひとりが自分を吟味して、そのうえでパンを食べ、杯を飲みなさい」と語っていますが、わたしたちも自分の信仰がさらに成長するように自分自身を吟味していきたいと思います。
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