教会は一つとされて

召されたあなたがたは、、、、謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。エペソ4: 2,3

 きょうは、ここから「教会が一つとされている」ことの大切さを見て参りましょう。パウロはエペソ書4章の中で、キリストを信じた者の群れである「教会」が目指すべき「あり方」について語っています。それは「一致」です。

 一致の反対は「分裂」ですね。分裂の原因は「罪」です。神から離れてしまったアダムとエヴァ以来、人類は多くの分裂を繰り返してきました。そして、今も続いています。国と国、民族と民族が対立して争うだけではありません。身近な家庭の中にも分裂・争いは絶えることがないのです。しかし、分裂・争いの原因となる「人間の罪」を滅ぼすために、御子キリストは全ての人間の罪をご自身に負われ、あなたやわたしの身代わりに神から罰を受けられ、十字架で死んでくださいました。キリストの身代わりの死によって、主を信じる者は例外なく全ての罪が赦され、神の子どもとされ、主が再び来られる時には主のように復活のからだに変えられ、神と共に永遠の命に生きることを保証していただけるのです。クリスチャンは、主からいただいた、この「新しい命」に生きるものですから、その生涯を通して、命の源たるキリストを証していくことが大切になるのです。

 4節に「からだは一つ」と記されていますが、これは地上における「キリストのからだ」である「教会」のことであり、「御霊は一つ」と続くように、教会として集められたクリスチャンたちは、みな同じ聖霊(キリストの聖い御霊)がそれぞれに与えられている者の集まりであるので、信仰において、すべての者が主によって「一つ」とされている集まりなわけです。ですから、教会にはキリストによる「一致」が絶えず存在するものなのです。主を信じる信仰において、あなたの教会は、あなたにとって居心地がいいところでしょうか。違和感はありませんか。居心地がいいとは、なにも「仲間意識があって互いに仲がいい」という意味ではありません。教会においても完璧な人はいません。お互いに欠けているところがある者同士の集まりです。しかし、世の中とは違います。教会に集められたクリスチャンたちは、それぞれに主によって赦され、「新しい命」に変えられた者の集まりです。2~3節に「謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、平和のきずなで結ばれて」とあるように、わたしたちクリスチャンは主の愛によって結ばれているからこそ、主の愛で互いに結ばれた者の集まりである教会では、信仰による「一致」が保てるのです。

 イエス様は十字架につかれる前の晩、弟子たちの足を洗って言われた言葉がありました。「あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。」わたしたちも、いつも主を見上げて、どんなときにも主によって「一つとされて」いることを喜びとする教会にしたいですね。