するとイエスは、彼に言われた。「さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。」マルコ10:52a
主は十字架につかれるためにエルサレムを目指していましたが、その直前に「エリコの町」に立ち寄られています。そして、その町を出ていかれる時、町のはずれの道端で、目の見えないバルテマイという男に目をとめられました。彼は通りすがりの人々から施しを受けて生活していました。彼は目が見えないということで、ユダヤの社会では「罪人」として扱われ、エリコの町の外に置かれていたと思われます。そんな彼が、イエス様一行が通られたとき、必死になって、イエス様に声をかけました。そんなバルテマイを見て、イエス様は「あなたの信仰があなたを救ったのです」と言われ、彼を罪から解放し、見えなかった彼の目を開かれました。聖書の中で、イエス様が人の病を癒されるとき、「あなたの信仰があなたを救ったのです」と、しばしば宣言されているのをご存知でしょうか。「あなたの信仰があなたを救った」という言葉は不思議な言葉ですね。きょうは、イエス様が仰った「あなたの信仰があなたを救ったのです。」という御言葉の意味を中心に見て参りましょう。
まず第一に、イエス様が言われた「あなたの信仰があなたを救ったのです」というお言葉の、「あなたの信仰」とは、バルテマイの一体どういう「信仰」なのでしょうか。バルテマイはイエス様の弟子ではありませんでした。ただ、人から「ダビデの子、イエス様が通られる」との噂を聞いて主に叫び、声をかけただけですが、これで「信仰者」と言えるのでしょうか。実は、「信仰」について、聖書に定義がされている箇所があります。ヘブル11章1節です。リビングバイブルで見てみると、「信仰とはいったい何でしょう。それは、望んでいることが必ずかなえられるという確信です。」とあります。すなわち、信仰とは、神がなさることへの「絶対的な信頼」だと語っています。 わかりやすいので、「信仰」を「絶対的な信頼」という言葉に置き換えて、きょうの箇所をもう一度読んでみてください。イエス様だったら「わたしの目を必ず開いて下さる」という「絶対的な信頼」をもって、バルテマイがイエス様に求め近づいたことが分かります。イエス様への絶対的な信頼、これが信仰なんですね。
第二に、イエス様は、バルテマイを近くに呼び寄せ、「わたしに何をしてほしいのか。」と訊(き)かれました。イエス様は、バルテマイの心の中のすべてを知っておられたにも関わらず、あえて、彼に訊いていますね。どうしてでしょうか? それは、主がバルテマイと「1対1」の関係をもたれ、バルテマイの願いを聞いて下さるお方だからです。あなたは、イエス様と「1対1」の関係をもっていますか? イエス様が「わたしたちのために」十字架で死んでくださった、というよりも、主は「わたしのために」死んでくださったという確信が、あなたにはあるでしょうか。、、、、、これが、イエス様があなたに求められる「1対1」の関係です。
あなたは主との「1対1」の関係の中で、主に何でもあなたの願ったことを具体的に求めるべきです。イエス様はあなたに言われるはずです。
「あなたの信仰があなたを救ったのです。」
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