イエスは彼らに言われた。「舟の右側に網をおろしなさい。そうすれば、とれます。」そこで、彼らは網をおろした。すると、おびただしい魚のために、網を引き上げることができなかった。ヨハネ21:6
先日、「バックステージ」という番組を見ました。「壊れた大切な品を元どおりに修復する」杉山さんという修復士が紹介されていました。母親の大切な形見であるお皿が割ってしまった依頼人からの依頼でした。約1か月後、割れていたお皿は見事に元どおりに修復されました。番組で杉山さんが仰る言葉が印象に残りました。「元どおりになった品を見て、依頼人が喜ぶときまでが修復士の仕事です」依頼人の失敗(うっかり)によって破損した品が見事に修復されるとき、その喜びは格別です。なぜですか? それは、自分のせいで壊してしまったという自責の念があるからです。しかし、修復士はそうした依頼人を自責の縄目から解放する素晴らしい働きをするんですね。ところで、イエス様という方は、私やあなたを罪の縄目から完全に解き放ち、造り主である神に繋げる修復士なのです。
きょうのお話の場所はティベリヤ湖(ガリラヤ湖)です。ペテロたち弟子たちはイエス様が十字架につけられた直後、エルサレムにとどまりました。そして、主が復活された日曜日と次の日曜日、復活の主が弟子たちの前に現われたのはエルサレムでしたね。しかし、きょうのお話の舞台はガリラヤ湖です。どうして弟子たちはガリラヤに戻ったのでしょうか。なぜなら、弟子たちは「もうイエス様の弟子と呼ばれる資格がない」と考えたからです。なぜそのように考えたのでしょうか。なぜなら、彼らはゲッセマネにおいて主を見捨てて裏切ったことへの自責の思いに苦しんでいたからです。
そこで、イエス様は落胆した弟子たちを立ち直らせるために、彼らに先立ってガリラヤに行き、そこで彼らの心と信仰を回復しようとされたのです。イエス様は一体どのようにして、弟子たちを励まし、彼らを立ち直らせたのでしょうか。2つご紹介します。まず1つ目は、「弟子たちの自責の思い」が湧いてくるところの根源である彼らの罪を、主は十字架によってすでに赦しているということを、腕の傷・わき腹の傷をもって彼らに示されました。しかし、彼らはそのことがよく理解できませんでした。そこで、イエス様はガリラヤ湖の岸辺で朝食を彼らのために用意され、彼らに食べさせています。ユダヤの社会では、食事に人を招くのは「和解」を意味するそうです。「人を赦すこと」を意味するんですね。弟子たちには、主が赦されていることが理解できたはずです。2つ目は、弟子たちを自責の思いから解放するために、3年前、大漁の魚の奇跡によって、ペテロたちが漁師をやめ、主の弟子となった、すなわち、主から弟子としての召命を受けた経験を、主はここガリラヤ湖において再現され、彼らを再度弟子として召されたのでした。
イエス様は、自責の思いから信仰や自らの救いまでも自信を失った弟子たちの内側を修復し、さらに堅い信仰に立つ弟子たちへと回復させたのです。そして、現在のわたしたちの心と信仰をも、主は同様に回復させてくださるのです。主による修復と回復の恵みに預かるためには、私たちが主の前に(まずは)「悔い改める」ことを忘れないようにしたいと思います。主は、悔い改めて主に従う者を召して遣わしてくださる回復の神なのです。
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