あなたは私を愛しますか

彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」ヨハネ21:15

 今週は、イエス様が復活をされて5周目に当たります。主は、恐れと不安の中にある弟子たちに、復活の姿をお見せになって励まされました。しかし、弟子たちはゲッセマネで主を見捨ててしまったという負い目を感じ、もはや「主の弟子とは言えない」と落胆していました。そのような弟子たちの萎(しお)れた心と信仰を回復させるために、イエス様はガリラヤ湖という、以前、弟子たちが「大漁の魚」を経験し、彼らがイエス様の弟子となったときと、全く同じ経験をさせていかれました。再び大漁の魚の経験をしたのち、弟子たちはイエス様が用意された食事に招かれました。ユダヤの食事には「赦し」とか「和解」という重要な意味があるそうですね。食事に招かれた彼らは、復活のイエス様がすべての罪・咎を赦し、回復させ、再び、彼らを伝道の働きに召してくださっていることが分かったと思います。 

 さて、きょうは、そのようなイエス様が、弟子のひとり、シモン・ペテロに同じ質問「あなたは、わたしを愛しますか」を三度繰り返された場面です。もちろん、イエス様はこの問いかけを通して、ペテロをはじめ、使徒たちすべてに宣教と牧会の働きを託されていかれたと思います。そして、この問いかけは、同様に、教会を牧する私たちクリスチャンたちへのメッセージでもあるように思います。きょうの箇所から、2つのポイントで見て参りましょう。  

 第一のポイントは、「この人たち以上に、わたしを愛しますか。」と、イエス様は弟子たちに「問いかけて」おられるということです。「この人たち以上に」というと、イエス様が人と人とを比べておられるように感じるのですが、主は決して比べているのではありません。むしろ、イエス様はペテロに対し、「他の者はいざ知らず、ペテロよ、あなたは私を愛しますか。」と、ペテロに「一対一」の関係の中で、主を愛しているかどうかを確認されたのだと思います。そして、この問いかけを、主は他の使徒たちにも、現在の、あなたやわたしにも同様に投げかけておられると思うのです。そして、「はい、わたしはあなたを愛します」と応える者に、主は主ご自身の羊を飼いなさいと委ねるのです。  

 第二のポイントは、主が三度「わたしを愛しますか」と問うておられることです。三度と言いましても、新改訳聖書の欄外を見ますと、一回目、二回目のときには、主は「アガパオー」という語を用いてペテロに尋ねました。アガペーの愛という言葉を聞いたことがあるでしょうか。「アガパオー」とは、その動詞形で、神の愛、全き犠牲の愛をもって「愛しますか」という意味かと思いますが、さずがに、主を見捨てて逃げたペテロには、アガパオーという言葉では主に返せずに、兄弟愛を意味する「フィレオー」という言葉で返しています。あなたやわたしもそうですね。フィレオーで愛することしか出来ない自分に気づかされるのです。しかし、主はそんなペテロに三度目には「フィレオー」を用いて尋ねてくださいました。主は失敗だらけの、不十分な愛しかないような「わたし」であっても、主にあって遣わしてくださるお方なのです。