「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。」使徒3: 6
皆さんには、ご自分の人生に大きな影響を与えた人物はおられますか。人との出会いは、私たちを成長させてくれますね。しかし、私たちの生き方、人生の価値観を180度ひっくり返し、神の祝福の中を歩ませてくださるのは、救い主イエス・キリストのほかにはありません。きょうは、キリストを信じて生き方がすっかり変えられた人のお話を紹介致しましょう。
ペンテコステの出来事のあと、クリスチャンの群れである教会が誕生しました。はじめは使徒たちを中心に伝道がなされ、キリストを信じる人たちの数が日に日に増えていったことでしょう。ある日のこと、ペテロとヨハネが、ユダヤ人たちの午後三時の祈りに合わせて神殿に行き、イエス様の福音を伝えようとしたときのことです。「異邦人の庭」から神殿奥へと通じる門のところに、生まれつき足が動かない男が置かれていました。彼はユダヤ人社会の中では「罪人」とされて生きていました。ユダヤ人たちは、病気は罪から来ると信じていたからです。彼も自分自身が罪人であると思って生きてきたわけです。彼は社会において満足に働くことが許されず、生きるために、毎日、この門のところに置かれて礼拝者から「施し」を受けていました。彼が置かれていた門のことを、当時、その荘厳な造りから「美しの門」と呼ばれていました。なぜなら、ヘロデ王がユダヤ人の人気取りのために莫大なお金をかけて神殿修復をしていたからです。
この「門」の、あまりの美しさを「明」としたら、門に置かれた男の姿は「暗」であったに違いありません。礼拝者たちは神殿の美しさに目を奪われ、男のことなどは目に入りません。人生に例えれば、真っ暗闇の人生です。一時の喜びはあったとしても、それが永遠には続かない。実は、私たちが置かれている世の中は、このように、真の希望がない世界なのです。しかし、この日、この男の人生が、突然、希望の人生へと変えられました。ペテロとヨハネがこの男に「キリストにある希望」を伝えたからです。キリストが、「あなた」や「わたし」の罪の身代わりに十字架で死んでくださったこと。そして、それが間違いない事実であることを示すために復活されたこと。この事実を経験したペテロたちが、キリストによって罪赦されたことの喜びを、確信に満ちて、この男に伝えたわけです。男がキリストを信じて受け入れた瞬間、不思議なことが起こりました。なんと生まれつき動かなかった足が動き、彼は歩き出したのです。彼が罪の縄目から解放された瞬間でした。
この男の人生が「キリストにある希望」に満たされたように、今、主を信じる「あなた」や「わたし」も同じ希望に満ちていることを覚えましょう。キリストにある人生は見た目ではありません。あなたの人生が創造主である神の救いと祝福の中にあるという確実な保証をいただいている喜びがあるのです。ですから、神様に思いっきり感謝をささげたいと思います。
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