するとイエスは言われた。「あなたも行って同じようにしなさい。」ルカ10:37
私たちは、健康に良くないと分かっていながら、食べ過ぎたり、飲み過ぎたり、運動をさぼったりしませんか?きょうの「善きサマリヤ人」のお話は、何について私たちに教えているでしょうか。それは、良いことだと知っているのなら、あなたはそれを「実行することが大切だ」ということです。
律法学者がイエス様に質問しました。「先生。何をしたら永遠のいのちを自分のものとして受けることができるでしょうか。」 彼は聖書のことをよく知っていましたから、「永遠のいのち」を得るためには何をなすべきかを実は知っていました。知っているのにあえてイエス様を試すために尋ねたんですね。イエス様は「律法には、何と書いてありますか。あなたはどう読んでいますか。」と彼に尋ねると、彼は答えました。「『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』また、『隣人をあなた自身のように愛せよ』とあります。」どちらも聖書に記された律法であることを彼は知っていました。ですからイエス様は彼に言われました。「そのとおりです。それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」彼は言うだけで、実はそれを実行していないかのようにイエス様から指摘されたので、「自分の正しさ」を示そうと、イエス様に再び尋ねました。「では、私の隣人とは、誰のことですか。」 実は、この答えとなる律法も彼は知っていました。「隣人への愛」を教えるレビ記19:17~18は、隣人とは同胞のユダヤ人であることを前提にしていましたから、彼は「自分はユダヤ教の教師として同胞を愛している」と言いたかったんですね。自分はいかにも正しいことをしていると自認する彼に、イエス様は思いもかけない「たとえ話」をされました。それが「善きサマリヤ人」のお話です。これは、「あなたがサマリヤ人の隣人になれるか」というお話なのです。
エルサレムからエリコに下る途中、ある人が強盗に襲われました。この「ある人」とはユダヤ人のことです。彼は重傷を負いました。そこに、ユダヤ人の祭司が通りかかりましたが、彼は道の反対側を通り過ぎてしまいました。つづいて、ユダヤ人のレビ人が通りましたが、同じく、道の反対側を通り過ぎました。おそらく、祭司とレビ人は神殿で働く身として、死体に触れると汚れるとされる律法を守ろうとして通り過ぎたのでしょう。しかし、三番目に通りかかった異邦のサマリヤ人は、強盗に襲われたユダヤ人を「かわいそうに」思って助けました。イエス様は律法学者に尋ねました。 「この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。」 彼にとって、隣人とは同胞のユダヤ人でしたから、彼はイエス様の問いに素直に「サマリヤ人です」とは答えられませんでした。
私たちはこの話から何を気付かされるでしょうか。 それは、「あなたは何をすべきかを知っているのに、なぜ、それをしようとしないのですか」と言うことです。律法学者は聖書をよく読んでいたでしょうが、読むだけでは不十分なのです。「あなたも同じようにしなさい」。困っている人がいるならば手を差し出しなさい。あなたが手を差し出した瞬間、その人があなたの隣人となるのです。
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