神の恵みに応えて

だれでも持っている者は、与えられて豊かになり、持たない者は、持っているものまでも取り上げられるのです。マタイ 25:29

 このイエス様の譬えは「神の国」「天国」についての譬え話です。旅に出た主人とは「イエス様」です。そして、その主人が帰ってきたときとは「再臨」のときのことを指します。そして、僕(しもべ)に預けていた物の精算を行うとは、最後の審判のことを指すのでしょうか。この、主人が返ってくる時、あなたやわたしは神の前に立ち、右か左に分けられるというわけです。 

 さて、譬え話では、主人から、3人の僕がそれぞれ、その能力に応じてタラントを預けられます。このタラントとは神から与えられた「賜物」を指しています。正確に言えば、神から「託され」「預けられた」賜物です。私たちは、自分の身体は自分のものだと思うわけですが、聖書的に言えば、神がこの世に誕生させてくださった「いのち」ですから、私たちの命も、身体も実は神のものなのです。その証拠に、自分の命が自ら所有するものであるならば、自分がいつ死ぬかさえも分かっている、承知しているはずなんですね。しかし、そうではありません。

 主人は旅に出かける前に、僕たちにご自分の財産を託しました。それは、それぞれにその財産を用いるよう願って託したものです。一人目は5タラント、2人目は2タラント、三人目には1タラントです。そして、一人目、二人目はそれぞれ主人から預かったタラントを倍に増やします。ところが、三人目は、タラントを土の中に埋めてしまいました。すなわち、これはタラントを何も用いずに終わってしまう人のことを指していました。

 さて、タラントとはローマの貨幣単位で6000デナリのことです。1デナリが現在の約1万円だとすると約6000万円ですね。一人目は3億円、二人目は1億2000万円、三人目が6000万円です。それぞれ、主人から託された財産は高額ですね。しかし、これは神様イエス様が、それぞれの人に託された賜物のことです。人によってその賜物は異なります。私たちは自分の賜物と他人の賜物を比べたくなります。他人が自分よりも多く賜物を託されているかと思うと「うらやましく」思うものです。しかし、ここで、イエス様がそれぞれに託されているタラント(賜物)がそれぞれに異なるのは、それを互いに意識して比べるためではありません。大切なことは、神は、ご自身が託した賜物(財産)を、人が感謝して忠実に用いていくかをご覧になり、また、期待されるお方なのです。 

 私たちは、神から託された賜物にどれほど気づいているでしょうか。神が、あなたやわたしを愛して創造されたように、また、賜物も、あなたやわたしに愛を持って託されていることに気づかせていただきたいもなあと思います。 さあ、最後に、私たちが神から与えられ、託されている究極の「賜物」についてです。これは人類全てに公平に与えられている「賜物」です。それは、究極の命につながる「イエス様」です。私たちは、ご自身の命に代えて救いをもたらして下さったイエス様を常に信じ、主のご愛に応える人生を送りたいと思います。