あなたの指のわざである天を見、あなたが整えられた月や星を見ますのに、人とは、何者なのでしょう。あなたがこれに心に留められるとは。人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。詩篇8:3,4
今、コロナのことで、世界中で、日本中で人びとの生活が、経済が大変な状況にあります。神さまがいたらどうしてこんなことになるのかと、多くの人々は考えるかも知れません。しかし、そのような中に、神さまの恵みに目が開かれるならば、リバイバルとなります。自分自身がそうでした。神さまがいたならば、どうしてこんなことになるのかと、疑いを持って神様を見ていた時期がありましたが、しかし、一度神さまの存在に気がつくと、たちまち神さまへの考え方が逆転するんですね。わたしのような者さえも、神は顧みてくださり、救いへと導いてくださったから分かるのです。
きょうは、ダビデによって記された「詩篇8篇」を通して、神さまの大きさ、その恵みがいかばかりか見て参りましょう。
詩篇8篇には、詩篇の記者であるダビデが、天地宇宙を創造された神さまの、その恵みの大きさに感動して書いた者であることが分かります。1節に、「なんと力強いことでしょう」とあります。この「なんと」とは、ヘブル語では「マー」と言い、「驚き」を表す言葉です。かつて、少年だった頃に、ダビデは巨人ゴリアテに信仰を持って立ち向かい勝利しました。ダビデは神さまの偉大さをよく分かっていたはずです。しかし、不思議にも、ダビデはまるではじめて神の偉大さに触れたかのように、その偉大さに驚いていることが分かります。ダビデは、なぜ、神さまの偉大さに、そんなに驚いたのでしょうか。それは、大変な苦難の中にあっても、神さまの恵みに、ダビデが気づかされたからです。大変な苦難とは何ですか?それは、おそらく息子アブシャロムから命を狙われ、危険を避けて、ダビデは逃げていたからです。しかし、そのような中にあっても、神がダビデを忘れずに顧みられ、神さまの「赦し」と「救い」の恵みに気づかされて感動したからです。3節4節に、「人とは、何者なのでしょう」とありますね。逃亡する中で、ダビデは夜空に広がる満天の星や月をいつも見上げたことでしょう。そして、天地宇宙を造られた神さまが、なんと弱くて小さな存在に過ぎない「自分」に目を留められ、あらゆる苦難から常に守ってくださる恵みに気づかされて、ダビデは驚きを持って詩篇8篇を読んだのだと思います。
2節に、「あなたは幼子と乳飲み子たちの口によって、力を打ち建てられました。」とありますが、神さまはご自身のご栄光をあらわされるために、どんな後ろ盾も必要とされないお方なのです。すなわち、強い人間の力など、神さまには必要ないのです。むしろ、神さまが喜ばれるのは、常に親の力を頼るしか生きていけない弱い立場の「幼子や乳飲み子」のように、ただ神の大きな力に信頼しようとする者たちを、、、、神さまは喜ばれるのです。
神さまは、私たちが、神のかたちを取りもどし、一度投げ捨ててしまった「栄光と誉れの冠」を取りもどすことができるために、救い主イエス・キリストを私たちに与えてくださいました。主を信じる者は、主によって、もう一度人間本来の姿を取りもどすことができるのです。
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